お金に投影されたアイデンティティを取り戻す

ソース原理の提唱者、ピーターカーニックが体系化したマネーワークを日常で葛藤が起きる瞬間にプラクティスを行っている。

後々振り返りができるように、このnoteに言語化きておきたい。

マネーワークとは?

マネーワークとは、一言でいえばじぶんを取り戻すための身体感覚との対話であり、本質的に問われているのは、お金そのものではなく、自分の全体性を取り戻すことである。
なぜならば、私たちが持つお金に対するイメージは、ある性質の投影にすぎないからだ。
ソースがお金とどのような関係を結ぶかは、そのクリエイティブフィールド内でお金がどう機能するか、あるいはしないかに大きく影響する。
自分が抱いているお金にまつわる物語とは、結局のところ自分自身の物語に等しい。そうした物語は言い換えれば、「アイデンティティ」だと考えてみることができる。
お金は鏡のように機能し、自分の特徴を映し出す。私たちは自由な自分、安心している自分、成功を後押しする自分、といった像を見る。しかしお金はただの鏡であり、錯覚にすぎない。自分が求めるアイデンティティをお金に投影しているだけで、お金にはそういうパワーがある。

『すべては1人から始まる』より抜粋

じぶんの場合、お金に自由な自分を投影している。
そのため、自由に繋がる選択に対してはお金や時間などのリソースを費やすことに躊躇しない、一方で不自由を感じると、激しい嫌悪感や怒りを感じてしまう。

投影したアイデンティティを取り戻すには?

あるアイデンティティを完全に体現するためには、その対極にあるアイデンティティについて深く理解して受け入れる必要がある。
罪悪感や、嫉妬、不満、恥、不快感、怒りなどの感覚は、対象にアイデンティティを投影しているシグナルである。
また、イニシアチブの次のステップがわかっているのに踏み出せないでいる状況も、アイデンティティを取り戻す機会だ。
投影しているアイデンティティを取り戻すためには、脳のニューロン回路によるステレオタイプに弾き返されないようた身体感覚にアプローチする必要がある。
具体的は、マントラを唱える
「お金があってもなくても、私は〇〇だ」
私は「反対のアイデンティティだ」、そしてそれでいいんだ。
私は「反対のアイデンティティだ」、そしてそれは最高だ。
抑圧していたアイデンティティに居場所が与えられると、必要なときにつながれるようになるし、不適切な場面でそのアイデンティティが暴発するリスクもなくなる。
ポイントは、アイデンティティと行動を切り離すことだ。それによって、支配的なアイデンティティに縛られることがなくなっていく。

『すべては1人から始まる』より抜粋

マネーワーク備忘録

<子どもとの入院生活における葛藤>
2024年9月に、子どもの付き添いで2週間総合病院で生活することになった。

診察時間を事前予約するシステムにも関わらず、予約した時間から数時間過ぎて診察が始まったり、病院内の飲食スペースにコンビニとDOUTORしかなく付き添い者の食事が想定されていなかったり、顧客を中心に活動を行う民間企業に対して、医師を中心に活動を行う医療機関では、そもそもの考え方が違うと頭では理解しているものの、心では納得いかず、激しい憤りを覚えた。

入院生活初日から3日間は、子どもも病院に慣れず、夜泣きを繰り返していて、次第にじぶんも余裕がなくなっていき、4日目の夜にはあろうことか子どもに当たってしまった。。一番つらいのは、当人にもかかわらず、、

そう思った瞬間に、子どもに当たっている自分を客観視することができ、少し冷静さを取り戻すことができた。

なぜ、こんなに感情を揺さぶられるんだろう?と問いを立ててみると、

  • 診察時間が決まっていて、その時間には病棟に待機している必要があり、決まった時間に待機しているものの、医師は現れず、いつ現れるか不透明であること

  • 病棟の個室に課金してるにも関わらず、寝るソファは硬く、不便であること

の2つが大きな要因となっていて、抽象化すると、不自由さを感じていて、お金を使ってもそれが解消されないことにもどかしさを募らせていた。

そこで、4日目以降、病棟の就寝時間のタイミングで以下のマントラを唱えてみることにした。

「わたしは不自由である。そしてそれで良い」
「わたしは不自由である。そしてそれは最高だ」
「わたしは不自由である。そしてそれは幸せなことだ」
「わたしはお金があってもなくても、自由だ」

そのとき使ったマントラ

最初は、「わたしは不自由である。そしてそれで良い」と唱えると、心の声では「そんなわけないだろ!?!?」というツッコミが聞こえてきて、身体が強張る感覚があった。

しかし、継続していくと次第に心のツッコミが弱まり、身体が強張る感覚も薄れてくる変化が現れ始めた。

思考や発想も柔軟になり、課題図書を設定して、妻に持ってきてもらい、病棟にいなければならない時間やじっとしている不自由な時間には、貴重な読書タイムと捉えるようになった。

Wi-Fiも繋がりが悪く、ほぼ読書しかできない不自由な環境で、積読していた本がみるみる減っていき、やりたいことができている充足感や自由さを感じ始め、いつしか拘束されていることに有り難みさえ感じられるようになった。

妻が来て、数時間交代してくれることにも感謝が込み上げてきて、その時間を有意義に使うために、サウナやカフェでマネーワーク含めた振り返りをするようになった。
マネーワークをやる以前は、「3時間しか交代してくれないのかよ」と心の中で毒付いて、その3時間を車やカフェで仮眠をとることに使い、いわば時間を消化していた。

極め付けは、担当看護師の方から、「同じ境遇で寝泊まりされている他のママさんたちと比べて、浅田さんは随分元気そうですね」と、声をかけられた。(ママさんたちの大変さには、共感します😭)

確かに、周囲に意識を向けると目の下にクマをつけたママさんたちばかりで、子どもの機嫌も悪く、悪循環が生まれていた。

一方で、自分に心の余裕が生まれて、機嫌が良いからか子どもの機嫌も良くなり、好循環が生まれ始めていた。

5日目から最終日まではあっという間で、最終日には病院生活は自分のアイデンティティを取り戻すマネーワークには格好の題材ではないか?と思うようになっていた。

これには妻もドン引きだった(笑)

これまでも日常で葛藤するテーマが現れると、マネーワークをしていたのだが、日常で葛藤する体験が瞬間的であることに対して、病院での2週間は、自分が抑圧しているアイデンティティを長時間刺激される環境だったので、取り戻しワークが平時よりも効力を発揮したのではないか?と仮説を立ててみた。

病院でのマネーワーク体験を改めて振り返ると、

  • 身体感覚を刺激するマントラが言語化できると、潜在意識に効果的に働きかけることができる

  • 顕在意識の「こんなマントラ唱えて、どんな意味があるの?」というつぶやきには反応せずに、継続することが重要

  • 自分が葛藤する環境に長時間いれば、抑圧しているアイデンティティと向き合う時間が固定化されて、取り戻しワークががっつり機能する


といったところだろうか。
ともあれ、病院生活から得た質感を使って、今後も無意識に無いことになっているアイデンティティを取り戻していきたい。

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