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日記のような何か①「このまま会えなくなったら悲しいなっていう関係」について

『友人にせよ恋人にせよ、このまま会えなくなったら悲しいなっていう関係って、私からの能動的な相手への感情があるときで、自分の中では割と珍しい気がする。』

今日からしばらく、文章のリハビリとして、そこに書いたツイートからまだ人に見せれるなというものをいくつか取り上げてそれをトークテーマに文章を書いていこうと思います。
推敲もしないので、普段よりもまとまりのない文にはなるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

今日取り上げるのは冒頭にもありますこちらツイートです。


『友人にせよ恋人にせよ、このまま会えなくなったら悲しいなっていう関係って、私からの能動的な相手への感情があるときで、自分の中では割と珍しい気がする。』


みなさんは「この人に会えなくなったら悲しいな」という感情を持ったことはありますか?
少なくとも嫌いでない人全てにおいて、理由は何であれ、会えなくなったら悲しいというのはもちろんのことですが、今回聞きたいのは、実際には会える状況なのにふと「もしこの人に会えなくなってしまったらどうしよう」と考えてしまうような場面です。

特に今はSNSを使えば、遠方に引っ越ししてしまっても、相手がどんな暮らしをしているか知ることができるし、zoomなどを利用して、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり、オンラインで何か一緒にアクティビティを行うことも一般的になってきました。

この現代で、「会えなくなる」というのはもはや物理的な距離を指すことではなくなったのではないでしょうか。
思うに、「会えなく」なるのは、どちらかが「会う時間を確保しなくなった」ことに起因するのです。

理由は「忙しくなった」とか、時間は有限だから「ほかにもっと会いたい人がいる」とか「趣味に没頭したい」とか。もっと言えば「嫌いになった」ということもあるでしょう。

いずれにせよ、相手の中で自分の優先順位が何かに負けた、落ちたということになるのですね。
だから、「会えなくなったらどうしよう」という感情は、私が大切にしている人が、私を大切にしてほしいというエゴに基づくのではないか、というのが私の見解です。
そしてそう思うような人の多くに対して私は少なくとも依存していると言えます。

そして、私が一番この感情の中で注目したいのが、「私が相手を大切に思っている」から発生する感情であるということです。

相手からいつも「大切」を受け取るばかりの人は、なぜか自分の周りには人がいた、友達に困ったことがないというタイプの人が多く、そういう人がこの世にはそこそこいると思っていて、この立場の人って、無条件に他人から愛されることつまり「受け身」で人間関係を維持することができるんですね。私自身も、ずっとこのタイプでした。

でも、本当に自分にとって大切にしたいと思った人が現れた時、「相手が大切に思ってくれるとは限らない」という体験をすることから、不安になるのかな、とか。

だから、この初めてともいえる不安の感情は、自分がその人のことを特別に大切に思っていることの裏返しなのかなって、その人に対する感情を客観視するきっかけになりました。

あまりまとまりませんが、30分が来たのでここで筆をおきます。

それでは。

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