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漫画を漫画でないものに持っていく難しさ
東京の街の不思議なところは、行きたい目的地までの経路をGoogle検索すると時々「あそこへ行くのには、電車よりタクシーより自転車が早い」というような結果が出るところです。
朝8時20分。
電車を使うと39分なのに自転車だと35分。
このまま駆け出してみようか。
その検索結果を電動自転車に跨ったまま受け取った私は、この自転車を自宅の駐輪場に置いて10分歩いて最寄駅から電車に乗るという回りくどいルートをかなぐり捨てて走り出しました。
空は青く、乾燥のせいか息は白くならず、手袋をしているおかげで体のどこも冷えることなく、電動アシストの効いた自転車は私を随分とタフにして、大通りを前へ前へ押して行きます。
向かうは、泣く子も黙るハイブランドジャングル・中央区銀座。
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漫画家の友人と会うのだからオシャレをしていくのだ!と、いつもは履かないヒールの靴を履いてきたのに、ママチャリに乗っての銀座。ヒールの靴よりも目立つ子供用の座席。
朝イチでツアーガイドさんに導かれて銀座を歩く観光客の皆さん、「肉のハナマサ」で大量の豆腐と鱈の白子と野菜を仕入れるレストランの若い衆。
午前中の銀座の朝日は美しくアスファルトに反射して、今日また始まるこのジュエリーボックスの振動に備えているようです。
わたしは銀座にある月極シェアオフィスで編集さんとオンライン打ち合わせをしてから、樋口橘先生と会う約束をしていました。
3年ぶりに会うひぐたん先生は、おしゃれでキュートで、しかも前より健康的な雰囲気。嬉しくなって最初からテンション高く13階レストランフロアのソファにて会食をスタートさせました。バッグからチャームから何から何まで可愛い。
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世の中には「漫画は面白くっても私自身は全然つまらん人間です」というタイプの漫画家さんと、「漫画も面白いけど本人がまた違う方向で面白い」というタイプの漫画家さんがいるのですが、ひぐたん先生は後者の方。
長年女性漫画界で活動してきたという点でひぐたん先生と私の通点は多いと(勝手に)思っているのに、根本の鋭さと強さが違うのです。
この日も鋭く強く面白いお話がたくさんできて、「やっぱすげーや、ひぐたんはよう・・・・!」という思いでいっぱいになりました。
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『シャンピニオンの魔女』のアニメ化が決まり、そのお祝いもさせていただきました。(本当に優しくて繊細で笑えて泣ける漫画なのでみんな読んでほしい)(アニメ放映時期はまだ未定)
漫画が面白く優れているからアニメやドラマになるのです。でもそれはある意味漫画が漫画じゃないものに変化して新しい戦いを始めると言うこと。
期待もあるけれどきっと不安もあります。たいへんなことがあったこの一年。その後にメディア化をすることに緊張はどうしてもある。原作者なら尚更です。
チョコレートのペンでここまで細く可愛い文字と絵が描けるんだ!?とデザートプレートを作ってくれたレストランの技術に感嘆しつつ、ケーキを食べていたらひぐたん先生が言いました。
「知り合いの先生が、メディア化がすごく多い漫画雑誌に移った時に編集さんに言われたみたいなんです。『頑張ってドラマ化目指しましょうね!』って。あれ…?って思っちゃいますよね」
私が感じていた戸惑いと同じものをひぐたん先生も感じていて、ナポレオンパイの階層を一枚ずつゆっくり剥がしながら頭を巡るのは、漫画や「原作」と呼ばれるものを取り巻く現在の状況でした。
アニメやドラマにしてもらうために漫画を描いているわけじゃない。
それでもそのビジネス展開が漫画の継続に必要な時があり、周囲もそれを待ち望むし、なんなら出版社から売り込むことも増えている・・・。
漫画じゃなくなる時に加わる魅力もたくさんあるけれど、失われるものもあるのです。絵柄や間や書き文字の擬音は全部取っ払われて、骨組みが持っていかれます。
漫画が生まれた後、別の切り口で違う命を吹き込まれることは永遠の命に近付くようにも思えるのですが、「アニメを目指して作りましょう!」と言われることはだいぶん違う。
完成形はどこなんだい?
私たちが作っているものは素材なのかい?
アニメになることがゴールみたいに見えるデザートプレート。嬉しいけど、ありがたいけど、でもゴールじゃないですよね、とひぐたん先生と重なる気持ちがありました。
漫画描きたい漫画家がメディア化で思うことは「これでまた漫画が描ける」「多くの人に届けられる」です。でもそれはそう単純な話ではなく、たくさんの困難とたくさんの難しさも一緒にやってきます。漫画の形じゃなくなる先も磨きに行かなければならない。磨かせてくれるよう、話し合いを続けないといけない。
その「磨き上げ」の部分をひぐたん先生はいま本当にしっかり戦っていて、作品のために漫画を描くだけじゃなく尽くしていて、忙しいのに頭が下がりました。
『シャンピニオンの魔女』のアニメがより楽しみになりました。
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アニメになり、映画になり、ドラマになり、巨大ビジネスになったらその分多くの人を幸せにできる。でも私たちが向き合うべきは、物語自身の持つ振動と向かい合うことと、最初のファンの人たちを大事にすること。契約関係を疎かにせず、しっかり作品を生み出せる環境を守ること。
漫画の存在意義が「メディア化のネタ」だけになることを恐れるなら、やっぱり漫画をより磨いていくことが必要だし、相乗効果を目指してメディア化の先を磨くことも諦めたらいけないし、権利に強くならなければならない。そして翻ってまた、漫画を楽しみにしてくれる人を増やさないといけない・・・・。
「漫画を磨く」という表現がぴったりの作品を描くひぐたん先生。
ひぐたん先生がまだまだ漫画に高い熱量を持っていることが嬉しくてたまらず、アニメ化にも妥協なく取り組んでいるのが頼もしく、新鮮な頑張りの素をもらったような気持ちになるランチタイムでした。
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自転車で来たら、自転車で帰らなければならないのは自転車誕生(1817年ドイツ)からの逃れられぬ宿命。三越の地下の駐輪場代は200円。行きよりも不思議に軽やかなペダルで銀座高架下の「肉のハナマサ」で鱈の白子を買って帰る帰り道。
私には私のオシャレと豊かさがあることを、5センチヒールとひぐたんがくれた芋けんぴが見てくれていました。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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