まんが絵日記シリーズ4
保育園時代から連絡帳というものがあり、多いときは3人が一斉に在園するので三冊も連絡帳を書いていました。文字なんか書いても決して見返さないので、一コマ漫画みたいなのをずっと書いていました。
一コマ漫画で収まらない子供たちとの日々も、家族と友達に見せるためだけにチョコチョコ描きためていました。
流れていってしまう日々の澪標みたいに、noteにひみつの記録。
最終兵器彼女
寒くなって来ましたね。うちの4歳Wちゃんは、自分はお布団に入らないのに、「ママはぜったい足をお布団から出しちゃダメ」と強く思い、ありったけの毛布をママの足元に被せてから、ママのお腹の上に寝る毎日です。
これ普通なの?なんなの?四人子供がいても全員やることが違ってわかりません。
きっとずっとわからないことばかりをどこの子供の行動からも発見するんでしょう。
物語を作るときに思うのが「人は年表を読みたいのではない」ということ。
つまりはどういうことなんだ?と考えたときに、一番参考になるのは子供の行動です。
子供の行動には「合理性」とか「理屈」とかがありません。
「このズボンいや!」という言葉にもそれ以上の意味はないし、「あの公園に行きたい」と日が暮れる夕方に言い出すことに壮大な事件への伏線もありません。
効率よく物事を進めたい大人からしたら、無駄だらけ。
でもそこなんだなあと思うんです。「年表に現れない部分」は。その無駄にこそ、個性と魅力が詰まっているなあと。
物語を作る人は、その「無駄だなあ」と思う部分を大事にしないといけない。クセやキャラクターと言われる部分はここに出て、人はそう言う「合理性」で語れないところを記憶するし、語るし、愛すから。
「無駄だなあ。忙しいのになあ」と思うことが私にもたくさんあります。売りに出したいくらいあります。
でも、効率よく子供達を誘導することではたどり着けない「思いもかけない事件や冒険」に、無駄だと思う行動を否定しなかった末に出会えたりするのです。
「この公園にある木全部に登るまで帰らない」
11月の寒い夕暮れにそう言われたら「勘弁してくれ・・・」と思うけど、これがもし少年漫画の主人公なら、「主人公っぽーーーい」と思います。
そんなこと言い出して、ほんとに達成する子にはどんな物語が似合うだろう?そう思い始めると、子供のことを止めることができなくなります。どんなに疲れていても、歯を食いしばって付き合っていたい。
そしてその「なんでそんなことしたいんだろう?!」をたくさんメモしていきたいと思っています。最短距離を行こうとする大人になってしまった自分にもたらされた、凶暴な宝物です。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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