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「旅する勇気がなくなってきちゃった」
「旅する勇気がなくなってきちゃった」。
友達がそんなことを言い出したのは、先日カフェでおしゃべりしていたときでした。学生時代、バックパックひとつであちこち飛び回っていた彼女の口からその言葉が出たとき、私の中で何かがひっかかる音がしました。
彼女は本当に自由な旅を楽しんでいた人でした。現地で格安のツアーを申し込んだり、英語もロクに話せないのに地元の人に道を聞いて知らない街を歩き回ったり。多少危ない目にあっても、「それも旅の一部でしょ?」なんて笑い飛ばしていたのに。
でも今は「安全第一」のツアーじゃないと、気が乗らないと言います。その話を聞いているうちに、私は自分の胸をぐっとつかまれるような気持ちになりました。「あれ、もしかして私もそうかも」と。
20、30代の頃の私はもっと無鉄砲でした。
たとえば、イタリアのカプリ島にある「青の洞窟」を訪れた時。小さなボートで入るのが一般的ですが、その日は波が高くて欠航。
あの頃の私はどうしても青の洞窟に入ることを諦めきれず、夫と2人で泳いで入ったことがあります。(日本人には信じられないことですが、別に禁止されてない)
入り口の幅はごくわずかで、波の動きに合わせて潜らなければ通れないので緊張感マシマシです。
潮の動きに注意しながら、水面と岩の間の狭い空間を抜ける瞬間には、心臓が激しく鳴り、「岸壁に叩きつけられたらちょっと死ぬかな?」と思いました。
でも、その先で待っていた景色は圧倒的でした。青の洞窟の中、光が水を透過して放つ幻想的な青さ。
他にも同じように泳いで入っている観光客もいたのですが、みんなちょっと命懸けでこの光景を見ているので切実な静けさがあり、
洞窟の中で無鉄砲な勇者たちと特別な体験をしているような気がしました。
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船で入るのと泳いで入るのでは、見えるもの、感じるものが全く違うのだと実感しました。船の上から眺めるのも(多分すごく)美しいですが、体が水に触れて、波に揺られて、自分で進んで洞窟にたどり着くという過程を経た分、洞窟の青さや静けさが心に強く刻まれるのです。
その体験は、ただ「青の洞窟を見た」という記憶ではなく、「自分の体で洞窟を訪れた」という感覚として残っています。
観光地として整備された空間も、手段を変えるだけでこうも印象が変わるのかと驚きました。泳ぐことで見えた青、その青に包まれる感覚は、たぶん他の人が船から見た青とは違うはずです。そして、この「違う」という感覚が私にとってはとても大切なのだと思います。
(あと「浮き輪が欲しかった」と今でも切実に思っています。)
観光地に行く理由は、名所を見るためだけではなく、その場所を通じて「自分の感覚」を確認するためなのかもしれません。青の洞窟でそれを実感しました。
そんなふうにまるで世界中どこへでも行けるような気がしていました。「トルコもエジプトもペルーのマチュピチュも、いつか必ず行くんだ」って、心の中で確信していたんです。
でも、いつからかその「いつか」が遠ざかっていくのを感じるようになりました。
家族で旅行を計画しているとき、ふと気づいたんです。「安心」と「安全」が何より大事な条件になっていることに。昔は、「なんとかなるさ!」で突き進めたのに、今は「ガイドがついていないと不安」「無計画だと危険」と、自分の中でどんどんストッパーがかかるんです。
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どうしてなんだろうと考えているうちに、最近読んだ記事を思い出しました。
年齢を重ねると、脳がスリルやリスクを「楽しいもの」として認識しにくくなるそうなんです。
たとえば、ジェットコースター。10代や20代の頃はあんなに楽しめたのに、今では「怖い」が先に立ちます。これには、脳の「扁桃体」が関係しているそうで、年齢を重ねるにつれて危険を警戒する感覚が強まるんだとか。
さらに、脳内のドーパミンの分泌量が減っていくことで、スリルを味わったときの「楽しい!」という気持ちが弱まっていくそうです。
これを聞いたとき、思わず膝を打ちました。そうか、私がジェットコースターに乗らなくなったのも、旅の冒険に身を乗り出せなくなったのも、このせいなのか、と。
でも、それだけじゃない気もします。やっぱり、家族ができたことも大きい。守るべき存在ができると、無計画な冒険はしにくくなります。
トルコのパムッカレをいつか訪れたいと思っていましたが、今では「旅で子どもが体調を崩したらどうしよう」「家族全員分のチケット代を考えると、他の場所にしたほうが…」なんて、現実的な不安ばかりが頭をよぎります。
冒険しようという気持ちは、期限付きなのかもしれない。そう思うと切なくなります。
でも、だからこそ気づけたこともあります。若い頃のように無鉄砲な旅はできなくても、今の自分に合った「小さな冒険」を見つけられるんじゃないかって。
たとえば、ガイド付きの家族旅行の中で、ちょっと予定を外れて寄り道をしてみるとか。全員で初めての土地をゆっくり歩いてみるとか。冒険のスケールは小さくても、子供の成長を待ちながらできる限りの挑戦をする気持ちはまだ失っていない気がします。
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「でもうちの両親70代だけど、死ぬまでに世界遺産を全部見るんだって飛び回ってるよ!」
と最後にもう1人の友達が言いました。
世界中から飛んできたチョコレートのように、私も夢の形を変えながら大事にしてたら、また無鉄砲な自分に戻るのかもしれません。
あの青い光を、いつか子どもと一緒に見られる日を夢見ながら。
3巻発売になりました🥰よろしくお願いします。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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