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苦しさは自己肯定と否定の繰り返し、そんなものではないんだと「僕のヒーローアカデミア」


今年はまさかの全力スルー!?と思われた梅雨が、大遅刻して関東圏にもやって来ました。
一気に上がる湿度、短期決戦を強いられた梅雨前線がもたらすゲリラ豪雨への不安。
暑さにも寒さにも強い私が一番苦手な季節が梅雨です。
うちにある綿菓子作り機で作った綿菓子が生まれたそばから湿度でやられる様に殺意さえ湧き立ちます。みなさんの心に殺意まで生まれてないといいのですがどうでしょうか。


相変わらず起きてる時間も寝ている時間も「漫画が難しい」と唸っているのですが、本当にいつも不思議な気持ちを繰り返しているのです。

先月も当然の如くネームの期間は「しぬ・・・つらい・・・まとまらない・・・」と唸り続けて、
でも結局どこかでネームは出来上がるし、締め切りには間に合うし、なんならペン入れしてる時や仕上げの作業をしている時は
「漫画が楽しすぎる」
と思ってて、仕上げの作業が終わることが悲しくて
「終わってほしくない」
と思っていて、いつまでもいつまでも仕上がったページを見返して触っていたい気持ちに駆られるのです。

でも、出来上がってしばらくすると
自分なんかダメだ。いい漫画なんて描けない。力がなさすぎてつらい。次の話なんてどうしていいかわからない」と逃げ出したくなるのです。

自己肯定感のアップダウンなのか?
自分の作るものが好きな気持ちと、嫌いな気持ちを同時に持って、
主観と客観の切り替わりで自分の作業への前向きさが変わるのか?

比較的メンタルが安定している方だと思っているのに、その気持ちのアップダウンを繰り返してしまう。そしてそれがとても辛い。
自己肯定感の問題なのかなあ、自信の問題なのかなあ・・・・

そう思っていた時に、小4の息子がKindleで読んでいる漫画のページが目に入りました。

『僕のヒーローアカデミア』の最新40巻です。

わたしは不勉強ながらちゃんと通して読んだことがなくて、だいぶ前にジャンプの連載を飛び飛びで読んでいたくらいでした。

でも、一目でわかるのです。Kindleのページに映る漫画の一部分からわかるのです、これはとんでもない作品だと。

とんでもないよ!!!!!!!

というのが画面からはみ出している。

息子からタブレットを奪って、その40巻を通して読んでしまいました。読み方としては超御法度!!漫画の神様に怒られる!!でも読みたかったんだもん!!
そしたら、物語の細かい流れなんかぜんぜんわからないのに、もうとんでもなくすごい。40巻から急に読んだのに、ここまで来るのがどれほど大変だったかわかるし、どれほどの伏線の後にここに来たのかということが大コマから炸裂している。画力はめちゃくちゃ高いし、キャラクターの想いがほとばしっている。とんでもない!!!!

雷に打たれたように私は35巻から40巻まで読みました。なんで35巻から!!だって時間がないんだもん!
でも35〜40巻まで読んで、また私は震えてこりゃダメだと思って25巻から40巻まで読んで、
またこりゃダメだと思ってとうとう1巻から昼も夜も朝も読み進めて・・・・いま19巻まで読んだところです。バーカバーカ!!

40巻もある作品となると、一番漫画力がノリノリなのが最新刊かということになる気がするんですが、ヒロアカはもうずっとすごい。ずっとすごいからこんな読み方をしても全く後悔しないし、急に後ろ側から読んでいるからなおわかる。こんなに前半から大きな流れが編んであるのかーー!!という猛烈な構成力・・・・!

キャラクターは平凡な人などただの一人もいなくて、みんな邪悪だったり可愛かったりかっこよかったりまさに光彩陸離。
最初に感じたキャラの一面も様々な光で違う色で照らされて、エピソードごとにみんな多面的な魅力を放っている。ほんとうにどのページを読んでいていも楽しいし、半ページごとに笑うし泣くしビックリが起こるのです。

ああもう大変だ。絵も物語もキャラクターもなんなら漫画の進行速度も作品にかけられた愛情も、ぜんぶ漫画の最高峰だ。
これだけの冒険が漫画の中に込められるんだ。
その奇跡に震えるし、奇遇というかなんというか、昨日発表になったニュースに泣きそうになったりもするのです。


読み出したら止まらない名作を手に取りながら、ふと考えます。私はなぜ楽しいと苦しいを繰り返しているのか。堀越耕平先生もそうだろうか?おこがましいことだけど、もっと高いレベルでいろんな先生も繰り返しているのだろうか?
そんなことはない、キャラクターたちとつむぐ物語が楽しくて仕方なくて、ペンを置く時間さえ惜しい、という先生もいるんじゃないか?その差はなんだろうか?

そんな時、
ふと読んだヤンデル先生のブログにハッとしたのです。

旅は不安の中に身を浸す行為だ。不安が解消した後の安寧によるカタルシスを目的とするのではなく、「不安の中にたゆたうことで自分の体の輪郭がかえってはっきりしてくる現象」を直接求める行為だ。いつか安心するために一時的に不安になりたい」のではなく、不安そのものを求める。それが旅だ。

私は旅がしたくなった。不安の中に身を置くことを純粋に目的とした旅。誰かの既知を自分の未知に押印するような「手続き」から自由になれる旅。私は息子にあこがれ、かつての自分にあこがれる。既知の隙間に未知を探しにいく。風景の中にも会話の中にも美食の中にも自分の不安は落ちていない。ないものねだり。旅はむずかしい。旅は困難だ。本当の旅を再びできる日がくるだろうか。それは私が解決しない困難と不安の中に自分を置き続けるだけの胆力をもう一度取り戻すことを意味する。

ヤンデル先生の表現力と感覚を掴む粒感はいつも素晴らしい。

たまたま読んだこの「旅」についてのブログが、かき氷にメロンのシロップをかけて行った時のようにヒタヒタと染み込んでいく気がしました。

自己肯定感のアップダウンの繰り返し・・・その波に振り回されているんじゃない。

漫画家は毎週毎月旅に出て、南だか北だかの新大陸に上陸して、見たこともない人や景色や出来事に出会っては調べ、新しい出来事を書き止めているんだと。天空海闊の景色に呆然としたり、知らない文化に会って意思疎通に苦労したり、新しいキャラと喧嘩したり共闘したりして、そんな毎日を過ごして未知の困難と不安の中に自分を置き続けているんだと。

そりゃ不安で当たり前で、出発前は「旅に出たくないなあ・・・」なんて気持ちになって、でも旅の最中には「この旅終わってほしくないなあ・・・」と思っているだけなんだと。

いつもどこにもいけなくて、飛行機にも新幹線にも取材以外で乗れなくて、好きなケーキを食べにいくことさえ難しい日々を悲しんでいたけど、とんでもなかった。
ヤンデル先生が憧れてやまない旅に、息を切らしながら何度もトライしているんだ。

そのことに気がついて、ぶわっと背中の細胞が目を覚ます音がしたのです。

変な読み方をしてしまったヒロアカの単行本。でもどこから読んでもワクワクして素晴らしい単行本。
これも堀越先生が語ってくれた冒険譚で、楽しく辛く勇気に満ちた旅の話に他なりません。
堀越先生が旅に出て、デクやかっちゃんや焦凍と一緒に繰り広げた眩いばかりの日々の記録です。楽しいばっかりじゃなかったはず。でも多彩な能力と奇跡と努力と知恵に彩られた思い出を、読者にわけてくれている。
その日々の魔法のような記録が漫画です。

怖くても苦しくてもいいんだ。そうでないと旅はダメなんだ。知っている場所に予定通りに到着して美味しいものを食べて帰ってくるのではない、そうじゃない不安の中にこそ、見たこともない自分自身の輪郭が立ち上がってくるんだ。

ヒロアカをこのまままた40巻まで読んでしまったらネームを書く時間はどうなるの・・・?そんな怖いことを思いながら、でもこの素晴らしい読書体験が私の中の小さなヒーローの栄養にもなりそうで、やめられないでいます。

さあ、Plus ultra!

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