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欲望が霧散する話 。「今何が欲しい?」の問いの大切さ
最近、自分の欲望がどんどん霧散していくのを感じます。いや、比喩じゃないんですよ。本当に「霧散」するんです。朝、「今日は絶対に生ハム食べたい!」と意気込んで冷蔵庫を開けると、子供たちが寄ってきて「これなに?おいしいの?食べていいの?」と目を輝かせる。その瞬間、「あ、いいよ食べて」と言ってしまう・・・。「残念だな」と思うのも残念なので、その気持ちを丸ごとを無視する。
気づけば私の欲望は、子供たちの胃袋に吸い込まれて消えていく。
吉野家よりもリンガーハットが幅を利かす地域で育ったので定期的に長崎ちゃんぽんが食べたくなるのに、家族の大半の意見は「ラーメンがいいなぁ」。「・・・そうか、そうだね」。ちゃんぽんを食べたかったはずなのに気づけばラーメンを茹でている。まるで自分の欲望がどこかの無人島に漂流しているような感覚です。
これはもちろん私だけではありません。多くの親が、自分の「食べたい」「やりたい」「行きたい」をそっと脇に置いて、子供たちの希望を最優先にしている気がします。親業界ではこれを「無償の愛」と呼ぶんでしょうが、たまに思うんです。これ、「無償」というか「滅私」、そして「ライト版セルフネグレクト」なんじゃないか・・・。
実際、心理学的にもこういう現象があるそうです。例えば、「親性化(Parentification)」という言葉があります。これは本来子供が親に頼るべき場面で、親がむしろ子供のニーズに過剰に応えすぎ、自分を後回しにしてしまう状態を指すそうです。過剰というよりもはやデフォルトで、問題視することさえ難しいくらいに。
さらに、研究によれば、親は自分の欲望を抑えすぎると「アイデンティティのぼやけ」につながる可能性があるそうです。これ、専門用語で言うと「セルフ・イレースメント(Self-Erasure)」。要するに、「自分って誰だっけ?」状態に。
でも一方で、子供を優先する親の姿勢は、子供に「他人を思いやる心」を育てる効果があるとも言われています。つまり、私が生ハムを譲り続けた結果、子供が将来「どうぞお先に」と言える大人になったら、それはそれで良い…。…まあ、私の生ハムは戻ってこないけど。
そんな親のやるせない心に反して、クリスマス時期の子供達はたくさんの「どんなプレゼントが欲しい?」という問いを浴びます。おじいちゃんおばあちゃんが子供に聞く事もあれば、サンタさんにお願いするのは早いうちの方が・・・という流れもあるでしょう。
我が家にも24日の朝まで「ポケモンのぬいぐるみにしようかな、カードにしようかな、ああでもゲームも欲しいし・・・」と悩む男子Sくん(10)がいました。
「いまから新しいリクエスト考えても間に合わないんじゃないの・・・」「でもまだ夜じゃないし!!」と粘ってサンタさんに書くお手紙。何にしたのかな?と思ったら
「3月発売のモンハンのゲームが欲しいので3月にください」
・・・・・・今まだない商品・・・・!!!
サンタに3月に来いと!!!!!
無償の愛だか滅私の愛だかで見守っていた私も、サンタの気持ちになったらブチ切れます。「サンタがどれだけ今日大変か全然わかってない!!クリスマスにほんとに欲しいものがないんなら、もらう資格がないよ!」「ママひどい!!」「ひどくない!!」
イブに大げんか。
ほんとに大げんか。
一緒にいたらどこまでも腹が立ってしまうと思い家から出た私は、5分ほど反省したり「じゃあどうすればよかったのか」を考えた後、電車に乗りました。
こんなに腹が立つのは、きっと自分に「プレゼント何がいい?」と聞いてくれる人がいないからだ。自分を大事にできていないからだ。
そっと胸に手を当て、自分が一番欲しいものに想いを巡らせます。
そう・・・私は自分で自分を幸せにできる。
私が欲しいのは、でかい新しいテレビだ。
2011年製造の我が家のテレビはまだ現役で普通に見られます。でもどんどん大きく安く美しくなっていく量販店のテレビ&友人の家のテレビに「いいなあ」と思う気持ちもありました。
家族揃ってパニックムービーやハリー・ポッターを観るのが大好きで、リビングの電気を消して、みんなスマホを持たないようにして映画を見るその大事な時間に、もっと大きなテレビがあったらいいなあ。
「欲望の幽霊」になってしまっていた自分のなかにあった「ほしいなあ」はそれでした。
年末だし、別に壊れて困ってるわけじゃないし、、、と後回しにしていた思いを、クリスマスの今日大事にしないでどうするのか。
もう迷わない。
ビッグカメラに飛び込んで、目星をつけていたメーカーのテレビを指さして「これください」。
お姉さんはいきなり来て即決する私に目を丸くして「・・・・わかりました!年内にお届けできると思います!」と力強く端末を叩きます。
生ハムもちゃんぽんもテレビも、本当はなんとかすれば叶うのにどうしても後回しにしてしまうのは、パワーの問題でありめんどくささの問題です。時間的・経済的な問題でもあります。
でもそれは絶対に小さいことなんかじゃない。
自分を大事にしきれないほどに違うものを大事にしている私たちの努力を、「こうすればいいのに」なんて上から目線で言われたくない。
レジでお金を払うときに、全部の手配をしてくれたメーカーのお姉さんに言いました。
「ちょっと腹が立つことがあって、これは私が私へ贈るクリスマスプレゼントなんです」
綺麗な目をしたお姉さんはニコッと大きく笑い「いいですね!私もそれ昨日やりました。いいドライヤー買いました!」
握手をしたい気持ちでビッグカメラを後にして、クリスマスの夕方また電車に乗り、「Sくんと仲直りしなきゃ」と気を取り直します。
親としての欲望は確かに霧散しがちだけど、それを完全に諦める必要はないのです。「人へのプレゼントを考えてばかりだなあ〜」と思う人みんなに、聞いて回りたい。「今なにか欲しい物ある?」
欲しいものを聞いてもらえるだけでもいい。
夢や希望を語れるだけでもいい。
霧散した欲望も、ちゃんとどこかに残っていて、拾い集めれば自分に返ってくるのです。
テレビが届くのは29日。
「それまでに今の壁掛けのテレビをなんとしてもご自身で外しておいてください!取り外しができる業者を頼むと年明けになってしまうので!」とお店のお姉さんに強く言われたので、なんとか13年選手の48型テレビを自力で壁から下ろしたいと思います。できるのかな???
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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