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『歳をとるってことは奇跡を見せる資格がつくってこと』

秋の日は釣瓶落つるべおとしと言いますが、30歳を超えたらもう一年が釣瓶落つるべおとしだと思いませんか。
月曜日だと思ったらもう金曜だし、7月だと思ってたらもう11月だし。
月末を指す数字「24日」を見て「マジか」と思わず凝視しつつも、それが「10日」でも「18日」でも「マジか」と言っている。

漫画のネームが終わったらnoteを書こうと週明けに思っていて、気がついたら金曜日ですからね。マジか。
つまり心が追いつかない。

外苑前のイチョウは迫力の染まりようでした

毎日過ごしている中で、光の粒みたいなもにのほろほろと出会う瞬間があります。

ああ、これを忘れたくない。文章にしておきたい。

そう思う光の粒を手のひらに握りしめているのに、また別の光の粒に出会ってまた握りしめる。
光の粒は嬉しいような色もあれば、悲しい色をしていることもあります。
こぼれないように握りしめるけど、同時に生活もしなきゃならなくて、指の隙間から小さなかけらが転がり落ちていくのです。

日々踊り場のような小さな時間で手を開いてかけらを見つめるけど、大小の粒がバラバラなかけらは一つ一つは大事にしたい綺麗さなのに、一本の糸に綺麗に編むには難しいのです。

あれもこれも、書きたいけどまとまらない。
自分が大切だと思ったことがうまく表現できる気がしない。
オチもヤマもやっぱり必要に思えて、それを整えて出すには要素が足りない。
読んで面白いと思ってもらえるものになりそうもないから、まだ手に握っていよう。
でもどんどんポロポロこぼれてしまうし、両手以上の粒は持てない。

ああ、書けない・・・。

こ、、、この感じ・・・
カケラばかりたくさんあって、まとまらなくて苦しい感じ・・・
これあれだ。漫画作るとき最初に現れる敵「なんでも大事に思えてエピソードを削れない病」だ。

その敵だったら対処法を知っている。

知っている!!!ずっと戦ってきたから!!

つける薬は「伝わるエピソードはたったひとつ」と気づくこと。
何個もいらねえ。バッサリ削れ。

「黒い服って、質感が違っても値段が違っても厚さが違っても、他の人から見たら『単なる黒い服』ですから何着もいりません」って断捨離の神も言ってましたよね。


・・・・って捨てられないから!

物語だったら断捨離できるけど、人生だから!

車の中から。道ゆく人もいちょうに見惚れてました。

11月の上旬に家族と食事会に行きました。
義理の祖父母の旧友2名が会いに来てくれるということで、ホテルのレストランの個室に。

祖父母の友人はもちろん80歳越えの高齢で、これまで定期的にカラオケ会や食事会で会っていたのに、コロナの間会うことができなかったので四年ぶりの会でした。

祖父母の友人であり、私の友人ではなく、我が家の子供たちも「親戚でもないのになぜ」という顔で食事会に参加するわけです。

ホテルの和食なんて子供達の好きなものも多くないし、お行儀良くしていないといけない。窮屈なことに付き合わさせてしまうなあ、と思わないわけではないのですが、それでも子供達を連れて会に参加します。
そのことに意味があることがわかるから。その意味は年々大きくなるのを感じるから。

「おお、おまえ車椅子になんか乗ってなんなんだ。でもまだ死んでなくて何よりだよ!」
「うるせーよ。何言ってんだよ。お前こそ何でそんな元気なんだよ」
「本当は2時間前に着いちゃってどうしようかと思ってたんだよ。ここに入れるのは6時からだって言うしさ」
「え、おまえも早めに来てたのか。俺もだよ。連絡くれたらよかったのに」「お前も早めに飲んでたのか。いつも通りだなガハハハハ」
「もう、いっつも飲み続けて。夜中に酔っ払ってうちに来ては子供を起こせってうるさいんだから。マイペースすぎるのよみんな」

おじいちゃん・おばあちゃんにとっても、学生の頃からの友達です。いつもの「おばあちゃん」「おじいちゃん」としての顔ではなく、10代の頃の顔が空気の中にふわふわ溶け出してきます。
20代の頃の顔も声も、目の前の高齢者としての体の上にサブリミナルの映像のように挟まれて浮かんできます。

昔を知っている人たちからしか出ない学生の頃のエピソード、その時代のアイドルのこと、結婚式のアクシデント、やらかした失敗、家族の不和さえもネタにして笑い合います。

ああそれはできないなあ。
私が義理の祖父母といかに仲良くしていても、その話やその話し方はできない。そのツッコミもそのボケもできない。その会話の扉は開けない。

小学生の孫と合う話など何ひとつないおじいちゃんは特に、毎日テレビしか楽しみがありません。
そのテレビも白内障が進み霞んで見えなくなってきました。
音も聞こえにくくなってきました。
「楽しいこと」に次々シャッターが下ろされていくような毎日で、会話もどんどん減っていっていました。


でもお友達と話している時のおじいちゃんの目も口振りも違いました。
シャッター商店街だったものが戸越銀座商店街になったよう。
コロッケも唐揚げも何でも買ってほくほく食べているかのような笑顔で、どんどん話が弾みます。

連れてこられた孫たちもその雰囲気を感じて、楽しんでる祖父母に水を指すことなく周りをうろちょろしています。

「おおー君はなんて名前だったかな」
「Sだよ。おっちゃんそのエビの天ぷら食べないならちょうだいよ」
「おお、いいよ食べなよ。茶碗蒸しも焼き魚も刺身もあげるよ」
「何食べにきたの?」
「お話をしにきたの」

高齢の皆さんが食べきれない和食のコース料理がどんどん回ってきます。和食なので子供が大好きなものも多いわけじゃなく、私と夫がいつもの3倍の量を食べることになります。それでもやっぱりおじいちゃんたちと子供達両方いたほうがいい。こういう場はそうなのです。

どこかの年代だけでは話も刺激も広がりません。年代をまたいで3世代が揃っていることが会話を弾ませるのです。

昔のエピソードを持っている人が、それを知らない人に「こんなことがあったんだよ」と話す。「へえー」と受け止める。相手が知らないことがたくさんあるから、話すことがたくさんある。

その交換と共有の回数をどれほど持てるかが、「何を話すか」「どれだけ意味のあることを言えるか」よりも大事なのです。

今日来られなかった別の旧友にも電話をかけまくり、その場に引き込んで話の続き。次は必ず会おうと酔っ払って言っているけど、迷惑な酔っ払いのこの勢いが縁を繋ぐのだと笑って納得してしまいます。

「次もすぐ会おう。春にはおっ死んでるかもしれねーけどな。おれが」
「おまえがかよ。死なねえだろ。おれはつぎは歩いて来るから。車椅子じゃなくて」
「おお〜〜がんばれよ〜〜!次は横浜で会おう」

別れ際に交わす握手が壮行会のようになるのは、何があってもおかしくない年齢を共に戦う静かな戦士同士だから。

2012年の朝ドラ「カーネーション」で忘れられないセリフがあります。

年取るちゅう事はな、奇跡を見せる資格が付くちゅう事なんや。
例えば、若い子ぉらが元気に走り回ってたかて、何もびっくりせえへんけど。100歳が走り回ってたら、こらこんだけで奇跡やろ?
うちもな、88なっていまだに仕事も遊びもやりたい放題や。好き勝手やってるだけやのに、人がえらい喜ぶんや。老いる事が怖ない人間なんていてへん。年取ったらヨボヨボなって病気なって孤独になる。
あんたもな、
みんな、末期ガンなんかになったらもう二度と笑われへん思てんのに。
あんたが笑うだけでごっつい奇跡を人に見せられる。あんたがピッカピカにおしゃれして、ステージを幸せそうに歩く。
それだけでどんだけの人を勇気づけられるか、希望を与えられるか。
今自分がそういう資格、いやこらもう役目やな。役目を持ってるちゅう事をよう考えとき。

「カーネーション」144回 糸子のセリフより

『歳をとるってことは奇跡を見せる資格がつくってこと』

歳をとってからの1日1日に「奇跡」といえるほどの意味があることを、こんなに端的に伝えられるのかと思ったセリフです。

年老いていく自分も、年老いていく誰かを見守る人も、今現在年老いてもうキツイなと思っている人も、生きることが真新しい挑戦だと思えたらどれだけ日々が新鮮でしょうか。

【春には車椅子を使うことなく横浜の中華街まで行く】
おじいちゃんの大きな目標です。オレンジや赤のパーカー着て、白いスラックスがよく似合うおしゃれなおじいちゃん。起こるかもしれない奇跡を楽しみに待ちつつ、応援していこうと思います。


幼馴染は減ることはあってももう増えません。

最近そういう古い友達の大事さを感じることが多くて、私が手のひらに握りしめた光る粒の何割かは「友達って大事だよね」という当たり前の言葉に言い換えられるものでした。

でも言い換えずにまた書きたいと思うので、その時はどうぞお付き合いくださいね。
そんな1文字1文字が、私とあなたの縁を繋げていく光る石になるかもしれないと思うと、駄文にだって意味があると思えたりするのです。

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今日【卓上&壁掛けセット】ご購入の方にプレゼントでつけるポストカードのイラストを書いていたんですが、千早は公式には168センチでしたが2センチ伸びて170センチになっているようです。
千早も私の長い友達になりました。きっと元気にしています。

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