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意識できてる?「サプライズ」と「ネタバレ」の匙加減

結婚式の宴が終わって、夫と新居に向かったその瞬間のことを今でも思い出します。
私たちを待ち構えていた親族(約12人)が、いきなりクラッカーをガンガン打ち鳴らして「おめでとー!おかえりー!」と迎えるというサプライズ。挙式で1日中笑いと涙に疲れてもうヘトヘトだった私は、クラッカーから飛び出したリボンや紙吹雪の散乱する床に立ち「なんじゃこりゃー!!」と普通にキレてしまいました。
親族はキョトン顔。まさか祝福のはずのクラッカーでキレられるとは。
「おねーちゃん何キレとーとー」と笑う弟にハッとしました。

疲れていたのでゆっくりホッとしたかった自分と、結婚式を乗り越えた私たちをにぎやかなサプライズで迎えたかった親族。

笑って「びっくりしたー!ありがとう!」と言えなかった私。豆鉄砲を喰らった鳩の方がまだマシな反応をしたでしょう。

あの時の自分の器の小ささを反省しつつ、でも・・・先に「帰ってきたらサプライズがあるよ!」言ってもらっていたら、もっと余裕を持って心の準備ができていたよな・・・と思うのです。

そしてそれは昨今のエンタメに横たわる「サプライズ」と「ネタバレ」の繊細な匙加減に通じます。


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物語には大きく分けて、いわゆる「サプライズ演出」と「ネタバレ提示」という2つのアプローチがあります。

「サプライズ演出」は名前の通り、読者や視聴者に全く予測できない驚きを与える演出。思いもかけない真犯人、まさかと思ったトリック、勝つか負けるかの試合展開に登場する意外な助っ人・・・。
いわば、クラッカーのようにパーンと爆発する瞬間の興奮を生み出します。しかし、これがやりすぎると、私の結婚式のように全体の流れを把握してない客体が予想外の反応をしてしまうという危険性があるのです。せっかくの仕掛けがそれまでの流れさえ粉砕するという不運な事態・・・。

一方で、「ネタバレ提示」というのは、物語の大筋、つまり「これはこういう物語ですよ〜〜」という骨格を最初に教えてあげる手法です。
これがあると、読者は安心して物語に入っていけます。ある研究によると、実は結末をある程度知っていると、物語の伏線や細かい仕掛けに気付けるようになり、結果としてより深い感動が得られるというデータもあります(※参考:ある心理学実験では、結末を知ったグループのほうが物語の面白さを高く評価したそうですhttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1108/16/news048.html)。
つまり、大筋はしっかりと教えておいて、そこからは細部でサプライズをちょっとだけ仕込む。これこそが、最も理想的な「導き」の形ではないか・・・。

たとえば、家族にディズニーランドに行くことを教えるかどうか。
子育て家庭だと結構あるのですが、「先に教えてしまうと大騒ぎして言いふらしちゃうから直前まで言わない」ということをします。

でも、出発の前日にやっと「実は明日ディズニーランドに行きます」とサプライズ的に告げること(やったことある)、これは本当に良くなかった・・・。

子供達はあまりに急なのできょとんとしてしまって、「ほら、明日早いからさっさと寝るよ」と言われて布団にぎゅうぎゅうと押しやられ、気持ちが盛り上がってないまま早起きをさせられ、なぜかわかんなけど舞浜にいる・・・という状況。

そのテンションの上がらなさに「ネタバレして心の準備をさせることって、本当はものすごく大事で、それは「楽しみな時間」そのものだったんだ。奪うべきじゃなかった」と後悔したことがあります。
小さなサプライズはその後からいくらでも搭載できるのに、「楽しみに待つ」という心の中で自分で育てるワクワクの時間はもうあげられないのです。

気をつけるべきは、物語の作り手が「大きなサプライズ」だけに頼ってしまうこと。
いわば新居のドアを開けた瞬間に突如として打ち鳴らされるクラッカーのように、「明日ディズニーランドに行くよ」という唐突な宣言のように、全体のリズムや調和を壊してしまうということ。

むしろ、全体の流れというネタバレ的な枠組みをしっかりと与えた上で、その枠組みの中にちょっとした意外性を散りばめる――この「導き」が本当に受け止めやすい物語を作る秘訣だと思うのです。


たとえば、大河ドラマなどは歴史が下敷きになっているので最初から「この人物のこういう歴史の物語」と大まかなネタバレがあります。
その中で個々の登場人物が予想外の行動を取ったり、歴史書に載らない細部の伏線が美しく回収されたりすることで、視聴者は全体の「歴史の出来事」という安心感と「この役をあの俳優さんがやるのか〜〜」など細かな驚きの両方を味わえます。
これは、まるで旅先であらかじめ「今日のランチはサプライズあり!」と告げられた上で、実際のレストランでふとした瞬間に、「隣の席の井浦新さんもあなたの誕生日をお祝いしています」と言われるようなもの(サプライズ過ぎ!!)

結局のところ、私たちが求めるのは、全体像の安心感と、瞬間的な驚きと喜びの両立。物語においても、結婚式のあの小さいながらも衝撃的なクラッカーの出来事が、もしも事前に「今日はちょっとしたサプライズがあるからね」と一言添えられていたなら、私はもっと穏やかにその瞬間を楽しむことができたはず。

作り手は、読者にとっての「安全な道しるべ」を与えながら、細部でこっそりとハラハラドキドキさせる、そんな絶妙なバランスを目指すべきなのだな・・・と、私もなかなかうまくできないながらも心の中にギュッとそのバランスの大事さを握りしめます。

「ネタバレ」で大きな道筋を示しながら、細部に「サプライズ」を仕込む。大きくなくても上質な「驚き」をちりばめる。

このアプローチこそ、物語作りの「導き」であり、最も理想的な形ではないでしょうか。大筋がしっかりと提示されることで、読者は小さなサプライズに集中できる。
そしてその小さな驚きが全体の物語のイメージを上げ「この世界が好き」「この筆致が好き」「キャラクターの右往左往を見ていたい」となるのではないでしょうか。

生きている上でのサプライズに備えるのはなかなか難しいですが、「2月3日だから鬼が来る(かもしれない)」くらいの気持ちはいつも持っていたいです。「2月1日なのに鬼が来た」場合はきっとキレてもいいし、なんならそれは泥棒ですので、ガチで豆じゃなくて撒菱まきびしがあったら投げましょう。

言うは易し、行うは難し。
サプライズを実際に行う主催者になったら参加者200名に誓約書書かせて刊行令を敷きそうだし、ネタバレも匙加減を誤って真犯人やトリックの大ネタをポロッと言っちゃいそうそうだし、難しいわけです。

でもみなさんが感動できる物語に出会った時は、その匙加減の間で身をすりつぶして伊達巻きか肉団子になって準備していた誰かがいたということ。

その匙加減の妙は狙い澄ましたものだとちょっとだけ思い出してもらえたらと思います。難しいことなので私はまだまだ修行中です。


なぜ突然「サプライズ」と「ネタバレ」のことを書いたかというと、大河ドラマ「べらぼう」に登場した矢本悠馬さんの登場シーンがあまりに印象的だったから。

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