生きているのに死んでいる2時間半。人は言葉で生まれ変わる。
「ドレスコードはピンクです。できる限り華やかなピンクの衣装でいらしてください」
そんなお達しを受けたのは5月。
三ヶ月かけて探したピンクのワンピースを身にまとい、出かけた先は都内のホテルのバンケットルーム。
友人の50回目の誕生会・・・ではなくて、生前葬の宴が催されました。
「人生の披露宴という名の生前葬」
ババーーーーーーン!
いやこれ披露宴そのもの・・・・・!!!
喪主(??)・・・いや今回人生に幕を下ろすご本人である友人の布施美佳子さんは、華やかなるアパレル業界から面白み満載のおもちゃ業界を経て、今はカワイイ棺桶のプロデューサー。
布施美佳子さんのことを友人一同愛情を込めて「みけら」と呼んでいるのですが、わたしから見てみけらさんは高エネルギー才能界隈において『会いに行ける東の横綱』。(ちなみに『会いに行ける西の横綱』は岸田奈美さん)
https://instagram.com/mikera1973?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
みけらさんは棺桶や骨壷のプロデュースを生業にするくらいなので、そもそもとても「死」についての関心が高く、
パワフルすぎる生き様のどこにも「死」の気配を感じないのに、パワフルすぎて生きてる間にめちゃめちゃ死と向かい合ってしまうことを宿命づけられたお方。
アトリエを内装からインテリアから自作し、棺桶も依頼を受けてオーダーメイドで製作し、入棺体験ワークショップを積極的に行い、ラフォーレ原宿や横浜ビブレなどでポップアップショップを展開している起業家の彼女の、この夏1番のイベントが生前葬でした。
ビビットなピンク、色とりどりのブーケプリントで満たされた棺桶が並びます。
かわいい!
棺を見てテンションが上がるなんて。
ずっと興味があった入棺体験を、この機会にわたしもさせていただきました。
ずっと想像していたんです。棺に入るというのはどんなことなのか。
狭い棺に横たわって、蓋を閉められるというのはどういうことか。
横たわっている時間はそんなに長くはなかったのですが、人によっては10分くらいじっくり入る方もいるそう。
長く入れば入るほど、意識は体をめぐり、めぐったあとに少しだけ離れ、
「もう終わりだとしたら、私は自分の人生をどう感じる?」と問いかけが始まる感じがしました。
やり切ったと言えるだろうか?
やり切ってないと思うならそれはどの部分だろうか?
そして、棺の中でも思うのです。
私が死んでも、みんなが笑っててくれたらいいなあ。
「一生懸命生きたよね」って受け入れてくれるといいなあ。
泣かれちゃうとつらいなあ。
大好きだよって言って欲しいなあ。
自分が今生きている人生の段階や、抱えている仕事やテーマによってこの部分で湧き上がる気持ちはきっと違うと思うので、皆さん本当にチャンスがあったら体験してみてほしい。
かなり直球で自分のことを客観的に見つめる行動です。入棺体験って。
そしてこれってものすごくポジティブ。
「縁起でもない」と言われそうなアクションだけど、なにせ蓋を開けたらまた「生」が始まるのです。臨死体験の後には再びの生の体験が始まる。
生が与えられてるありがたさをリスクなく感じられる経験です。
そして棺桶が華やかでかわいいことで、まだ無関係だと思っている若い人も、差し迫ってきてリアルで嫌だと思う年配の人も言うのです。
「これだったら入ってみたい」
生前葬の本番では、みけらさんはプロの納棺師さんによって豪華な花柄のガウンに衣装替えをしてもらいました。
私はこのお召し替えは、周囲にいる人にご遺体の肌が露わにならないように配慮されているのかと思っていたのですが、それも誤解でした。
周囲の人どころか、納棺師さん自身にも決してご遺体のお肌が見えないように配慮されているのです。
亡くなった本人の気持ちになったらそりゃそうだと深く納得。
いくら亡くなって意識がない状態とはいえ、他人に肌を見られたいわけがないのです。
すみずみまでご遺体に敬意を払っている納棺師さんのプロの技、すばらしいものでした。
友人男性皆さんの協力で、みけらさんは厚みのあるツイードの布を貼られたピンクの棺に納められました。
みけらさんは事前にこう言っていました。
今回の生前葬、テーブルの上に席札があり、その裏面に「布施美佳子さんへのお別れの言葉を書いてください」とのことだったので、式の最中に書き込んだのですが、
だいたい書き終わった頃に告げられたアナウンスに来場者全員騒然としました。
「それでは、お一人お一人メッセージを読み上げていただきます」
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
100人以上いるよ〜〜〜〜!!!!!
全員〜〜〜〜〜????
テーブルごとにみけらさんの棺が置かれた高砂(?)に呼ばれ、回されるマイク。
みけらさんの飲み友達、食べ友達、お仕事友達、子育て友達、
みんながみけらさんと出会った時のことや、これまでの楽しかった思い出、みけらさんに感じる尊敬の気持ち、みけらさんと出会ってどれほど刺激を受けたか、そんなことを唯一無二のエピソードとして語ってくれました。
メッセージを読んでいるうちに泣いてしまう人多数。
いやでも生きてるのに。
生きてるのに死んでる体で話すから、泣いていいのか笑っていいのかわからない。意味のわからない涙でまたなんだか可笑しくなって、みんな不思議な気持ち。
「ご遺体がうっすら笑ってるのが見えます」と司会の方につっこまれてまた大笑い。
50歳のみけらさんの友人だからみんなだいたいそのくらいの大人なのだけど、ママ友さんのお子さんなどはまだ小学生〜高校生で、そんな若い彼らもメッセージを読み上げてくれるのですが、
「私たちはみけらの古い友達だから出会いのエピだってなんだって楽しいけど、子供達にこの会はどうなんだ・・・?長すぎて苦痛なんじゃないか・・・?」と心配になっていたのです。
でも、最終盤に順番が回ってきた高1の男の子が言いました。
「今、高校一年生で職業のことを考えるたびに、大人は忙しくて楽しくなさそうで、大人になりたくないと思ってたけれど、ここにいる人たちを見て、早く大人になりたいと思えるようになりました」
巻き起こる拍手喝采。
ピンクの服着た大人がみんな、これまでの人生を肯定された気持ちになってまた泣いている。
メッセージの読み上げだけでかかった時間は2時間半。愛と尊敬と笑いでいっぱいの時間をやりきって、そこから復活のみけらさん。
むくりと起き上がっての第一声が「みんなの言葉が嬉しくて、細胞が生まれ変わったみたい!」
どんな高濃度の酸素ルームでもかなわないくらいの細胞活性効果。
お別れの言葉というものは、生きてる間に聞けたら力強く未来を生きるための力になるんだということにハッとしました。
死んでからしか聞けなかったのがそもそもおかしいしもったいないということを、みけらさんはこの日2時間半かけて教えてくれました。
人生は痛みの連続です。
死も毒も争いも避けて通れない。心と体を根こそぎ傷つけて、全て薙ぎ倒していくような嵐を真正面から受けることもあるでしょう。
どうしていいかわからない悲しみ、苦しみ、去らない痛み。
それらからの解放をくれる「死」は、救いでもあるのです。
ここじゃないどこかへ連れ去ってくれるのが「死」の持つ力のひとつだとするなら、本当の死のまえに少しだけ引き寄せて見つめてみるのはどうだろう?。
そんな時間を持つことは本来物語の領分でしたが、生前葬でもその効用が得られるのではないか。
しかもかなり力強く、面白く、自分らしく。
そんな発想をくれたみけらさん、スタッフみなさんに深く深く感謝です。
私も私らしい棺で、「思いっきり楽しく生きたよね」と友人や家族に言われながらの葬儀がしたいし、それよりちょっと早く順番が来る両親に「どんな葬儀がしたい?」と聞いてみたい。
ポジティブに話せるように、これは楽しい企みなのだと思ってもらえるように、最大限工夫をしながら話をしたいです。
みけらさんお誕生日おめでとうございます!最高の1日でした。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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