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今年こそ会いたいね、とはいっても会うことはないだろうと分かってる

もう10年以上も会っていない友人。
年賀状や暑中見舞いを時々やり取りするぐらいで、普段はラインもメールも、もちろん電話で話すこともない。

今年こそは会いたいね♪

このフレーズはだいたい最後にいつも書かれているのだけれど、実際に会うために行動したことは一度もない。お互いに。

ポストに久しぶりに届く葉書。嬉しい気持ちで読み始めると、やっぱり心がモヤモヤする。結局いつも彼女の充実してます幸せですアピール満載の、そして軽々しい言葉で綴られた文面をみて、相変わらずねとため息をつく。
簡単に表現すれば、私はいつもマウントを取られているのだと思う。


結婚したりしてなかったり、子供がいたりいなかったり、立場が異なるともちろんそれぞれ話題は変わってくる。。

だけど、立場が違うからってどちらが上とか下とかはない。


子供のお受験、習い事、時には私のまったく知らないママ友の話まで。
そういった話題を聞くためにそんな話を聞くために大切な時間を割いて会いたいとは思わないし、やっぱりつまらないと思ってしまう。

でもはっきりと分かったことは、立場が変わってきたから会いたくないのではなくて、私がどんな友人と付き合いたいのかということにやっと気が付いたのだ。
その子の性格は学生時代から変わらない。学生時代から私はなんだかいつもモヤモヤしていたのだから。

その一方で社会人になってからできた友人で年下の大切な友人がいる。
好きな本の話や旅行の話、仕事の話はあまりしないけれど特に避けることもない。とにかく時間がなくても会って話をしたいなと思える友人。好きな映画や本に出合うと、次に会った時にぜひ話したいと思う。彼女とも色々と立場が違うのだけれど、嫌な思いをしたことはないように思う。そしてお互い時間をやり繰りして約束する。時間がない時には1時間お茶を飲むだけのこともある。

そこにあるのは優しさとか、思いやり、そして時には遠慮。
そして居心地が良いと思えるのはお互い相手の立場への想像力を持って接しているからだと思う。
それは本音で話さないということではなく、自分中心ではなく相手との対話を楽しむ姿勢だと思う。

会って話をしたい人は誰ですか。
会って話を聞きたい人は誰ですか。

一枚の葉書が届いて心がモヤモヤしたけれど、そのおかげで自分の心のモヤモヤが何なのか考えることができた。

心のモヤモヤは自分の中の違和感。

違和感を大切にすることは自分を、自分の生き方を大切にすることだと思った。








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