外に出るのも、家にいるのも、どちらも大変。立場が変わってはじめて分かること。
一緒に住んでいる父。
尊敬できる面もあるけれど、かなり人の気持ちが分からない偏屈な性格。
既に仕事を辞めて家にいる。
父が仕事をしていた時は自分は一日外で働いてきたんだ、と大層偉そうに振る舞っていたのに、今私が一日仕事をして疲れて家に帰ってきても、外に出て楽をしてたんだから夕飯の支度ぐらいしなさい、と言わんばかりの態度。
どうやら父の中では自分と私は違うらしい。
外に出て働いているとだんだん偉そうになってくる、と父が言った。
偉そうにしていたのはどっちだ、とけんかになりそうになるけれど、父の自論によれば父と私は仕事の大変さが違うようだ。
その話は父の口から何度も聞くので、そのたびに本当に頭にきて何度も喧嘩した。どう大変さが違うのかと説明してもらいたいと本気で思う。
もちろん家族を養うのは大変だ。私は結婚していないのだからその点は気楽かもしれない。でも私だって大学を卒業した年からずっと介護をしながら働いてきた。今でいうヤングケアラー。
でも最近、それは父の小さな自尊心かもしれない。とふと思った。
仕事一筋で生きてきた父は退職した途端に誰からも必要とされなくなった。あれだけ自分を犠牲にして仕事をしてきたのに、辞めた途端に社会からあっという間に必要とされず、必要とされるのは介護が必要な母からの用事だけ。きっと居場所がなくなって、空っぽになってしまったのだと思う。
視点を変えてみたら私は楽しそうに見えるのかもしれない。
きっと大変そうには見えないのだろう。そんな私を見て父は自分と違う、私には仕事の大変さを語る資格はまだない、と思うのだろう。
でもそれは私が会社だけの人生になりたくないと必死にもがいているから。
会社の帰りに映画を観たり、習い事をしたり、好きなことをしなければやっていけないぐらい辛いから好きなことをする。
楽しそうに、幸せそうにしているからって、心から楽して生きている人はいないと私は思う。みんなそれぞれ何かを抱えながら、それでも幸せそうに楽しそうに生きている。
幸せそうに振る舞うのは本当はとても辛いから。
でもそれは幸せでない、とも違う。
幸せそうに見える人は幸せなのだ。でも大変なことや悩みだってある。
父との喧嘩からいろいろなことを考えたけれど、もし今私が幸せそうに見えるなら、それは嬉しいことだなと素直に思う。
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