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無職の日々#9 前世探しが終わらない
オスマン帝国のハレムが一般的に持たれているイメージ、どうやら実際とはずいぶん異なるらしいことが、よくわかりました。そして、多民族、多宗教の人々を支配下におき、巨大勢力を築きあげたその懐の深さに感嘆するあまり、私の心は、既にオスマン帝国の虜と化しています。このままハレムに入廷してしまいたいほどですが、多分年齢制限で無理です。(苦笑
もしも、売られた後はこのような場所に行くことになる、と先にわかっているのであれば、親御さんはたとえ今生の別れとなったとしても、本人のためと考えて娘を手放すでしょうし、その際にうまく説明できなかったなら、娘に恨まれたこともあったかもしれません。
ところで今回、Web情報からは、オスマン帝国の女性=ハレムというような括りばかりが出てきてしまうように思いまして(Web上の情報にばかり頼るのは、あまり望ましくない場合もあるのだな、と今回よくわかりました)やはり前世ちゃんの功績?を考えると庶民的なところも知りたく、一般の方、特に女性の生活についての情報は……と、書籍に頼ったところ、思わぬことがいろいろと分かりました。
オスマン帝国の女性は、ハレム外でも自立し主体的に行動する方が多かったようで、例えば繊維製品の製造などの賃金労働に、多くが携わったそうです。つまり自分で賃金を得られるので、家庭に収まる必要がないわけです。
(ついでながら、トルコのファブリック製品やテキスタイルの小物は、現代日本でも人気がありますね。私も大好きです。私が一番気に入っているクッションカバーは、まさにトルコ製の、トルコの国旗をほうふつとさせる月と星モチーフのものです。)
ちなみにこの国、イスラム法で一夫多妻制は認められていたものの実施する人はあまりおらず、なんなら離婚の権利も持っていたそうです。まるで現代のようです。女性の賃金労働が一般的だったらしいことも考え合わせると、ずいぶん進歩的な国です。
このあたりで、労働組合っぽい団体とか、人材派遣会社っぽい存在の影でも出ないかと思ったのですが、ちょっと確認できませんでした。
その代わりにといいますか、労働組合でも派遣会社でもありませんが、ハレムに在籍している最中の女性で、例えばモスク等に寄進などの慈善事業を行った場合、そこの管財人としてハレムから卒業した女性を充てる場合があったそうです。
この場合、このハレム卒業生が、この施設の収入の一部を手にすることができます。
しかも、該当施設にハレム(≒宮廷)からの寄進があり、なおかつハレム出身者が管財人にあたるということで、寄進した施設に「宮廷からの寄進」の影響を印象付けることができます。
ハレム出身者であれば、着る物、しぐさ、雰囲気なども「スルタンにお仕えしていました」感の漂う品の良さ、雰囲気をふんだんに醸し出していたに違いありません。一般の方々からの宮廷への(スルタンやハセキ・スルタン、ほかハレムの女性たちへの)リスペクトも、色を濃くしたのではないでしょうか。
これと言う名前のついた相互扶助組織というわけではありませんが、ハレムの中でも外でも、彼女たちは、お互いがよりよく生きていくため、それぞれ手にを取り合っていたわけです。
ハレムの女性の皆さん、頭いい!!!
クルチザンヌの皆さんもそうでしたが、女性の知恵って、実にすごいです。
きっと他にも、お互いに生きていくために効果的なアイディアがたくさん活かされていたことでしょう。
しかしこの場合「労働組合」とか「派遣会社」とか、前世ちゃんが入るスキがどこにもないような気がする、というか、上にあげたような「女性の知恵」に比べ、前世ちゃんはちょっと真っ向勝負すぎる感というか……いえ、何にも悪くはないです。大変立派な発想です。
ただ、敢えてここに前世ちゃんがいたとした場合、さしずめ、あとさき考えずにハレム入廷からそこそこ頑張ってしまい、熾烈な争いにまぐれ勝ちしてしまったこともあったりして、かろうじて何回かスルタンに見いだされはしたものの鳴かず飛ばず、、、というあたりでしょうか。嫌がらせぐらいされたかもしれませんが、海先生のおっしゃる極限状況もなさそうなら、その後の活躍も必要なさそうな。
なんなら「あの子直情型だから、騒がれても面倒だしねー」的な感じの他の方々の「女性の知恵」で、適当に丸め込まれて終了してそうな。
なお、ついでながらオスマン帝国滅亡後に関しまして、ハレム解散となったようです。
その際、不満を持つ皆さんで結託して何か声をあげたりとか、またその後どのようにした人がいるとか、そういった情報は、残念ながらあまり見当たりませんでした。
尤も、懐が深く近代的なオスマン帝国ですから、これは雲行きが怪しいかも、という時点で希望者は出廷を許していたようで、また近くに身寄りのある方なども、安全のため早めに徐々にハレムから出させていたのではないかな、と思っています。
ということは、最後の段階までハレムに残っていた方々であれば、恐らくはそれなりの方が多く、ある程度の財産をお持ちの方が多かったでしょう。
そうでない方もいたかもしれませんが、これまで着々と築いてきた彼女たち独自の相互扶助がまだ機能しており、困った人は卒業生たちに手を伸べてもらうこともできて、みんなうまく身を処すことができたのではないかな、と思っています。
遠方から売られてきて身寄りがない方もたくさんいらっしゃったわけですが、ハレム内で一緒の時を過ごした人たち同士は「来世の姉妹」と呼び合っていたそうです。仲良く助け合って、それぞれ、その後の自分の人生を大切に生き切ってくれていたらいいなあ、と、未来の世界から願わずにいられません。
というわけで、前世ちゃん。
イスラム教支配下の国だから、女性が頑張っても名前が残るかどうか、ぐらいに、最初私は思っていたのだけれど……
君、記録に残るとか残らない以前に、ここは出る幕なさそうね。
オスマン帝国、思った以上に魅力的な場所だったので「前世ちゃん、ここにいてくれたらいいな」と思っていましたが……
残念。
何か文中に思い違い等ございましたら、穏やかにご指摘いただけますと幸いです。
ご読了くださいました皆様、今回も駄文に最後までお付き合いいただき、感謝申し上げます。
前回と今回の参考文献;
「ハレム 女官と宦官たちの世界」小笠原弘幸 新潮選書
「WOMEN 女たちの世界史 大図鑑」ルーシー・ワーズリー、ホーリー・ハルバート 河出書房新社