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無職の日々 #4 前世探しの旅に出発
「というわけで、誰も悪い人はいなかったにもかかわらず、前世から理不尽な目にばかり遭っていたので、自分は被害者という思い込みが強く、それが、次から次へと不本意な事態を呼んでしまっているの。」
海(ウミ)先生(仮名)の御高説が続いています。
これまでの、私の前世ちゃんの話を聞くにつけ、認識的な問題や時代的なこと、またそれぞれに、それなりの個人的事情があること、「悪い人はいなかった」、という海先生のお話しは理解できるもの、むしろ「良くはないと認識できる人がいなかった」というほうが相応しい気がするというか、「いい人」「何の罪にも問われない人」はやはり、あまりいなさそうな気が……。いえいえ、これは、現代人の感覚で考えてしまうからかもしれません。
それよりも、そもそも存在を信じるか信じないかは一瞬置いておき、自分の前世を特定できるかもしれない機会に、私は今、心を躍らせています。
ポイントは、以下4点です。
・ 貧しい階級の出身の女性であり、生みの親に奴隷として売られ、日本でいうと吉原のような、高級娼婦への待遇が華やかな場所で働いていた経歴がある
・ ただし吉原、および日本の話ではない
・ 自身らの待遇に不満を持ち、改善のため、仲間と労働組合を結成。
・ その後、協力者を得て、人材派遣会社のような団体を設立
上4点が揃うとなると、かなり特徴的であると言えるでしょう。
なかなかの経歴の割には、パッと思いつく個人名がない以上、あまり有名とは言えない人物のように思いますが、この4点を満たす人物を歴史上から見つけられれば、私の前世である人物の可能性が高い、ということでよさそうです。
海先生との個人セッション終了後、私は早速、思いつくままに、ウェブ上で様々な検索をかけ始めました。(個人セッションの話は、ひとまずここでいったん置き、先に前世探しの話をしたいと思います)
本来なら図書館にでも赴き、関連しそうな方面の世界中の歴史書の類を1から10まで繙いて回りたいところですが、いきなりそこまでするのは、研究者でもないのに、若干ハードル高めです。
目的が歴史上の個人の捜索および特定であることを考えると、まずはネット上で検索できるレベルの情報から基本的な知識を仕入れつつ、的をだんだんに絞ってゆくのがよさそうに思えます。
最初のキーワードは、これです。
「日本なら、吉原」
吉原も、いろいろな側面を持ちますが、海先生のお話の流れから「遊女さん、特に位が高い人への待遇が華やか」である点に着目するのがよさそうです。
だがしかし、そんな世界的にかなりレアなシステムの場所、どこにあるのか、というよりもむしろ、ほかにあんのか。
可能性として一か所、まず最初に思いついたのが、長崎の丸山遊郭でした。
長崎なので勿論日本なのですが、ここは御存じ、江戸時代には出島が置かれ、国内で唯一、他国との貿易が許されていた場所です。
したがって丸山の遊郭ならば、オランダ人さんのお客さんもいたでしょうし、また当然の様に、そういう方々と日本人女性との間に生まれたハーフさん、クォーターさんの遊女さんたちもいらっしゃったことでしょう。
紅毛碧眼の日本人離れした姿が、海先生の前世の見える目に映ったために「日本ではない」と海先生に判断された可能性は、あり得るかもしれません。
そこで早速調べてみたところ、確かに長崎の丸山では、基本的なシステムは、江戸の吉原とあまり変わらないようでした。またお客さんは私の推測以上に、外人さんのほうが多そうな雰囲気でもありました。
ですが、少々驚いたことに、丸山の遊女さんはなんと、その存在が土地の経済を支えていたために歓迎すべき存在と見なされ、土地からも住民からも大切にされ、保護を受けていたようなのです。
外出も比較的自由だったようですし、気に食わない客であれば断る権利も持ち、遊女という職業への偏見どころか、知性や教養の類、恐らくは通常の日本国民が知りえない知識も持つので、地元住民の皆さんからはむしろ、憧れの目で見られたりしていたとか。
また少々意外だったことに、彼女たちはおしなべて貧しい階級の出身で、お金と引き換えに遊女として遊郭に身柄を売られはしますが、実家との接触は一切絶たなければならないようなケースはさほど多くはなく、親は娘の稼ぎをあてにすることができ、娘は問題があれば一時的にでも実家に戻ったり、場合により親の応援を頼むこともできたようなのです。吉原の下級遊女さんだったら、泣いてうらやましがりそうな好待遇です。
長崎、懐、深!!
私の前世ちゃんがここにいたなら、仮に嫌がらせ程度のことは多少あったとしても、人を嫌って一人で籠るほどの理由が発生する可能性は低そうですし、ましてや、同じような境遇の仲間を集め、結託して労働組合を設立する必要もありません。
というわけで、せっかく思いついたので残念ではありますが、私の前世ちゃんが長崎の丸山遊郭の遊女であった可能性はなし、ということでよさそうです。
なお、そんなに厳密に調べたわけではありませんので、何か他に耳寄りな情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますと幸いです。
前世探しの旅は、次回に続きます。