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無職の日々 #8 前世を訪ねて何千里

 さて、今度はオスマン帝国についてです。

 状況的に見て、海(ウミ)先生(仮名)のおっしゃる条件を最も良く満たすように思いましたので、ここで、かなり近しい人物が見つかるのでは、と期待していたのですが……。

 Web上から得られるハレムの情報が、今一つ物足りない感じがしたので、今回は仕方なく図書館に行きました。

 それというのも、Webではヒュッレム・ハセキ・スルタン(スレイマン1世の寵姫)等、有名どころの情報を集めるのは難しくありませんでしたが、その他のこと、一般的なハレム構成員の方たちのがよくわからないように思われたためです。

 「労働組合」なら、そんなに上位の人が思いつくものではなく、下位の人が自発的に結託するものであるような気がします。私の前世ちゃんがここにいた場合、恐らくは、そんなに上級のハレム構成員ではないでしょう。

 しかしながら、それでは、
 まずは調べやすそうな「女人統治」方面から着手します。

 一番手は有名な「ヒュッレム・ハセキ・スルタン(ヨーロッパでは「ロクセラーナ」)」。
 正確なところは不明ですがスラヴ系の人物で、奴隷出身です。
 ハレムに送られたのち、いろいろと実力者ぞろいの中を、スレイマン1世の寵姫として、文字通り「のし上がり」、挙句の果てに国内政治や外交関係にも影響を与えたといいます。事実上フランスを牛耳ったクルチザンヌみたいな才女が、ここにもいらっしゃいます。(時代的にヒュッレムのほうが早いですが)
 この方、御存命中は数々の慈善事業を行ったとのことで、女性用の病院や入浴施設、学校、給食施設などの建築に尽力されたようです。この時代としては、確かに画期的かもしれません。
 ヒュッレムさんが着手された中に「労働組合」「派遣会社」的なものがないかと思ったのですが、簡単に探したところでは、ちょっとそれらしいものは見つからないようでした。
 紛れもなく、前世ちゃんではありません。

 続いては、こちらも有名どころ。
 キョセム・スルタンです。
 彼女も奴隷出身で、一説によるとギリシャの出身ということですが、はっきりはしないようです。アフメト1世の寵姫です。

 この方、web上で調べた限りでは「実質3度にわたり権力を握った」ことは記されていますが、私が見つけたい業績(労働問題への影響)は、ちょっと見当たらないようでした。

 ただ、図書館で適当に借りてきた書籍のうちの1冊から、見過ごせない記述を発見しました。

 なんとキョセムさん、ハレムを出廷する女性に、結婚資金プラスアルファの金銭の授与、および、よさそうな結婚相手を見繕って世話したというのです。こちらも、事実上フランス政治を牛耳ったクルチザンヌを髣髴とさせる、素晴らしい好待遇です。(時代的にキョセムのほうが早いですが)

 え!?
 ちょっと待って!!

 ハレム、出られたの!?


 出られた人、大多数みたいです……。


 スルタンに見いだされた人、及びハレム内におけるなんらかの要職に就いた人は、生涯をハレムの中で過ごすことになるようですが、その他の大多数は、何年かしてから「卒業」したそうです。
 トップに上り詰めた一部を除き、あとは入れ代わり立ち代わり、若い娘さんだけで構成されるわけですね。ハレムは、スルタンの子供を残す目的もありますので、これは特筆すべきことではないでしょう。

 ということは、何もなければ基本的に、数年間丁稚御奉公したら、終了なのね……。

(私がハレムの従業員だったらむしろ、足の引っ張り合いとかされないで済むよう、なるべくスルタンの目に留まらないよう、目立たないように地味にして、適当に卒業の日を待つかもなあ。。)

 多くの人が(私も)考えていたほど、ハレムは絵にかいたような酒池肉林の日々というわけではなく、基本的にスルタンの通常の生活場所という感じのようでした。ハレムに勤務していた女性たちは、基本的にそこの女中さんのようなもの、とでもいうのでしょうか。
 彼女たちは、ハレムの生活の維持のために、それぞれ必要な役割、例えば洗濯などを、何人かずつで分担して行っていたようです。ただし、役割やその後の出世に関わらず、教養を身に着けるための教育は、入った全員が受けていたようです。また、規則も厳格だったようです。スルタンのおめがねにかなう可能性だけは、もれなく全員が持っていますからね。

 売られたからと言って、オスマン帝国のハレムの女性たちは「奴隷」ではなく、「女性従業員」でもと呼ぶほうが相応しいように思います。(今回、参考にした文献内では「女官」と呼んでいました。こちらのほうが感じがでますね。)

 それというのも、全員に、
「お給料」が、出ていたようなのです。

 金額はそれぞれ異なるようですが、これについては、台帳が残っているとのことです。
 前世ちゃんがもしここにいた場合、彼女の名前さえわかれば、詳しく調べたら、支払われた金額、また在職時の担当業務や、出入廷時期などもわかるのかもしれません。

 彼女たちは、食事も衣類も「スルタンにお仕えする身に相応しい」ものが与えられていたようです。食事の仕方、マナー、着こなしは勿論のこと、ちょっとした身ごなしまでも、日頃からうるさく言われていたかもしれません。
 また、基本的には外出禁止のようですが、たまに、誰か身分の高い女性のお供という名目で、お出かけができる場合もあったようです。
 そうかと思えば、出入りの業者さんが持ち込んでくれる商品の中から、好きなように買い物を楽しむこともできたようです。

 奴隷って、一律「買った人の持ち物、財産」扱いかと思っていたら……。
 ハレムの女性奴隷の皆さん、全体的に、えらく厚遇。

 というか、

「奴隷」の身でありながら、
「財産」ではなく
「一人の人間」として、敬意をもって扱われている!!!

 労働組合、必要なくない??
 退職金はもらえるし、嫁ぎ先も世話してもらえるし……。

 
 オスマン帝国のあまりの懐の深さに、まさに文字通り、目ん玉をひんむいてしまったのでした。

 そんなに厳密に調べてないとかなんとかいう以前に、久々に(小説や詩以外の)本を読んでしまいました……。
 明日あたり、知恵熱とか出すかも。
 なにか間違い等ございましたら、穏やかにご指摘いただけますと幸いです。

 懲りもせず飽きもせず、すべてご読了くださっている皆様。
 このたびも駄文にお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。


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