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久米正雄作品を読む-空華・嘆きの市

久米正雄全集読破チャレンジ中。
『蛍草』を読み終えたところで、次は失恋もの以外にしようと選んだのが、全集第6巻収録の『空華』と『嘆きの市』。
『空華』は1919年9月~1920年12月に『婦人公論』に連載、『嘆きの市』は1923年1月~12月に『主婦之友』に連載された作品。

空華

あらすじ:外島家の長女・定子は知的障害があり、選挙に敗れて再起を図る弁護士・江上との結婚が決まる。妹の麗子は持参金目当ての結婚であることに反感を持つが、義兄となった江上に好意を寄せるようになる。そうした中、麗子は江上から紹介された小林と結婚するがうまくいかず、江上の選挙戦を手伝うようになる。

読み終わった後、戸惑ってしまった。主人公の麗子の選択は、どれもうまくいかなくて、1ページ目の初秋の庭の描写が美しいと思って選んだ本だったのに物寂しい読後感。

麗子は (現代とはもちろん違うけれども)自立した女性として描かれているように感じる。障害のために両親の関心は定子に向かい、麗子に対して干渉するようなことはなく本人に任せているように読める。結婚後、両親は登場せず、嫁ぎ先の別邸で夫と暮らすため義理の親も話に出てこない。だらしのない夫に対して黙って耐える女性でもない。

そんな麗子が唯一頼るのが義兄である。そして「姉さんは幸福しあわせね」と何度も言う。定子と自分を比較した発言となっているため、義兄に寄せる想いは、恵まれない姉ですら幸福にしてくれる人だから、なのかもしれない。
また、定子が得意な鼓を打つ音の描かれ方が、麗子の心情を表しているかのようで印象的だった。

嘆きの市

あらすじ:片岡家の令嬢・勝子は誕生会を開いたその夜に、父の銀行が破産することを知る。破産が決まったことで父は自死し、母子は父の友人である丸山の世話になることになる。

勝子はこれまでの豪奢な生活を捨てなければならないことになり、働くことを考えてはみるものの、丸山の世話になることを選ぶ。
結局はブルジョワのお嬢さんだから、最後は丸山(妻を亡くしている)と結婚するんだろうな、つまらないな。と思って読み進めて驚いた。良い意味で、予想と違う結末。

冒頭から描かれる、作家の和田、女中・お君の兄といった労働者階級との話がキーになっているのだけれど、働いて生活するという勝子の言葉は、自立しようとする自分に酔っているような、労働に対しての想像が甘いまま話が進む。
結末をどう捉えるか迷うが、良いように読むのであれば、勝子が労働者階級で生きることを真に決断したものなのかなと思う。

2つの作品を比較

『空華』は描写が丁寧で、時事ネタや舞台的な演出も感じられるのに対し、『嘆きの市』は基本的に主人公目線で物語が進み、話がシンプルだった。
『空華』は義兄の薦めによる結婚や妹として義兄の選挙の手伝い等、主人公が自分の意思を出さないような選択をしたことから不幸が起こる。一方、『嘆きの市』は破産する家を救うために妾に入ることを拒んだことから父が死ぬ。
どちらもお転婆、勝気と称されるような女性が主人公の話だけれど、読者層(掲載誌)の違いがあるように感じた。

久米は浪漫主義者と思っていたけれど(芥川がそう書いていたので)、現実主義者だなと感じた。主人公に夢のようなハッピーな結末を用意して、まぁ小説だからね、という読者の感想になっても良いのにそうはしない。
そんなところはおもしろいなと思った。

そして、これが美しいと思って気になった『空華』の冒頭の描写(部分)。
ここから不穏な話になるとは想像していなかった。

ただ秋を最も早く知っている桐の立木が、一二枚の葉を静かに黄ばまして、やがて音もなく落つる日を思わせていた。それから遠い池のみぎわに、早咲きの芙蓉の花が、薄紅の花をうっとりと着けて、爽やかな秋の花卉かきの先駆をなしていた。日に驕った昨日の夏花なつはなと違って、憂わしげな花の姿は、日中ひなかまで露を帯びているかと思われた。

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