見出し画像

気づけば空を撮っている

できるだけ同じものは撮ろうとしなくて、同じ道を歩いても

常に違う視点を持って観察し、写真を撮ろうとします、

僕たちおさんぽスナッパーは。(今つくりました)

そんなことを考えながら歩いていたある日、

青空って同じものだけどやっぱ撮っちゃうなあ、

と考えたんです。

そりゃ当然だ、同じモノでも表情が違う。

じゃあ空は、生き物か。植物の類か。

例えば湖に夕日が反射していて、かすかな波がとってもキレイ。

同じような写真を昨日撮ったけど、

今日も撮るかというと撮らない気がする。

じゃあ湖は生き物じゃないのか。


要するに雲を撮ってるんですね。
それと単純に青空が好きなんですね。
その日味わった温度、風、においをそこに残そうとしてるんですね。
思い出も。記録的要素で、空を撮る。

この写真1枚見ただけではいつどこで誰と、なんて思い出せないけども。

湖はおさんぽスナップの作品として撮りたいものだかど、それ以上の要素がないから昨日撮ったぞコレ、と避けることになる。

空は、昨日とか関係なく自分の中におさめたいもの、今日という日を記録するために撮るもの。

僕は、そんな考え方で空を撮るようです。
(人より空を撮るわけでもなく、きれいだったら撮るというフツーのレベルで)


決して書くことに困ってこんな駄文になったわけではありません。!

今日はいい日だった。

嬉しいことも学んだこともたくさんあった。

気分がいいので無内容投稿をしてみました。

(アメブロで無内容投稿を始めたら、それが楽しいのなんのでちょっと伝播してしまった模様)

読んでもらう価値もなく、目標も下心もないアメブロを始めてます。

絶対に見ないでくださいね!←これだけは下心

でもなんだか、自分が本来好きなことを思い出せた感じがします。

気張らず、誰に読まれることも期待せず、とにかく吐き出すだけ。

目的はないと言っても、数ヶ月後にはきっと想像しない何かが自分の中で起きてくれると思っちゃってます。

noteというステージがありながら、あれだけ気合いを落として発信する行為。快感でたまりません。
インスタグラムやfacebookでは、人様のタイムラインに流れてしまうのが性に合わなくて、見てくれる人が、見てもいいかな、というときにだけ、見てくれたらそれでいいのです。今どきこんなムダなことをする人はあんまりいないかもしれない。

自分が昔書いたこと、「写真1枚あれば、全く関係ないことがすぐに書ける」という名言。その写真に関係ないのだから、できて当然なのですが。

一周まわって、また楽しい時代がやってきた。

それで今からメルマガを書かなくてはいけない。
今日は編集仕事はお休みして、読書をしようと思ってます。

今日しゃべってくれた仲間に、ありがとう。

おやすみなさい。(記事を書くのは夜、投稿は朝、にしてます)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?