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【読書感想】ペッパーズ・ゴースト/伊坂幸太郎

こんにちは!
ゆうやけです!

今回は、「ペッパーズ・ゴースト」の感想を書いていきます。

ペッパーズ・ゴースト

あらすじはこちらから

中学の国語教師・檀は、猫を愛する奇妙な二人組「ネコジゴハンター」が暴れる小説原稿を、生徒から渡される。
さらに檀先生は他人の未来が少し観える不思議な力を持つことから、サークルと呼ばれるグループに関わり始め……。

引用:https://publications.asahi.com/peppers_ghost/

2021年10月に販売された、伊坂幸太郎さんの書き下ろし長編小説となっています。

率直に言うと、とても好きな小説でした!

ネタバレをしないために抽象的に書きますが、特に好きなところとしては、

  • 構造的な面白さ

  • ニーチェとの関連性

でした。

読まれた方なら、ピンと来ているかもしれませんね。
具体的にどんなところが素晴らしかったのかを以降の文章に書いていきます。

あらすじなどを見て、興味が沸いた方はぜひ読んでみてください!

余談ですが、動画のあらすじもあって面白いなと思いました。

それではさっそく、感想をネタバレありで綴っていきます!










ここからネタバレを含みます。










構造的な面白さ

ペッパーズ・ゴーストでは、作中作が登場します。
壇先生の教え子である布藤鞠子が書いた、ロシアンブル視点の物語です。

小説の中に小説が登場するため少し複雑に感じてしまいますが、整理してみます。

今、私たち読者の前には、3つの世界があります。

①「ペッパーズ・ゴースト」を読んでいる私たち読者の世界
②「ペッパーズ・ゴースト」の中の世界(私たち読者が読んでいる小説)
③布藤鞠子が書いた小説の中の世界(壇先生&私たち読者が読んでいる小説)

そして、中盤で②と③がリンクします。
つまり、壇先生の目の前に、アメショーとロシアンブルが登場するということです。

全く関係がないと思っていた2つの話がリンクするのは、素晴らしい演出だなと思いました。
しかも、これがタイトルの由来となっています!

この本を読むまでは、知らなかったのですが、ペッパーズ・ゴーストの意味について本文を引用すると

別の場所に存在するものを観客の前に映し出す手法だ。
本来はそこにいない、別の隠れた場所に存在するものが、あたかもいるように登場する

引用:ペッパーズ・ゴースト|伊坂幸太郎

小説の中にしかいないと思われていたロシアンブルとアメショーが、壇先生のいる世界に登場するのは、まさにペッパーズ・ゴースト。

また、ロシアンブル視点の物語(③)で、相方のアメショーがメタ的な視点で「自分たちは小説の中にいるから、何もかも物語がうまくいく」というようなニュアンスの発言をしています。

小説の世界の話と思わせておいて、壇先生のいる現実に登場してくる、という裏切りも面白いです。

さらに壇先生視点の物語(②)の最後で、壇先生自身もメタ的に私たち読者に語りかける場面があります。

「小説の中の話だと思っていたロシアンブルたちが、読み手である壇先生の前に現れた」と同様に、「小説の中の話だと思っていた壇先生とロシアンたちが、読み手である私たちの前に現れるかもしれない」、という期待感を持たせる形で幕を閉じます。

同じ伊坂さん作品の「残り全部バケーション」と同じくらい好きな終わり方でした。


ニーチェとの関連性

作中では、ニーチェの言葉が使われています。

ペッパーズ・ゴーストの中にも解説がありましたが、永遠回帰(永劫回帰)とは永久に同じことを繰り返し続ける世界です。

ニーチェの本では、何度も同じことを繰り返されることによって、唯一性の喪失などが起こる最悪の世界だとされています。

物事には一回限りまたは、回数に限りがあるからこそ、価値を感じるという側面があります。
しかし、何度も繰り返される永遠回帰(永劫回帰)ではそれがないということを意味します。
したがって、生きることに意味を見出せないニヒリズムに陥ってしまう、
というのが、自分なりの解釈です。

上で示した考え方とは異なりますが(唯一性の喪失による最悪な世界ではない)、カフェ・ダイヤモンドの遺族の立場で考えると、永遠回帰(永劫回帰)により、もう一度あの事件が起こる世界というのは最悪でしょう。

しかし、彼らはニーチェが考えだした永劫回帰からの呪縛を、ニーチェの言葉によって解いたことが終盤で示唆されます。

その言葉とは、「人生で魂が震えるほどの幸福があったなら、それだけで、そのために永遠の人生が必要だったんだと感じることができる」でした。

「彼らが起こしたテロによって、カフェ・ダイヤモンドの悲劇を繰り返さない世界が生まれる」というのが、上の言葉の幸福に該当するのかもしれません。

たとえ自分が犠牲になったとしても、その幸福のためなら...と彼らは思ったのかもしれません。

しかし、壇先生が考えた仮説によると、庭野さんらはまだ別の場所で生きていることになります。

目の前から消えたが、別の隠れた場所に存在している(かもしれない):庭野さんら

別の隠れた場所に存在しているが、目の前に現れる:ペッパーズ・ゴースト

この対比は素晴らしいと思いました。

改めて「ペッパーズ・ゴースト」は、秀逸すぎるタイトルです。


というこで、感想は以上となります。

読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また!

ニーチェの入門書としては、以下の本がおすすめです。
永遠回帰(永劫回帰)やニヒリズムなどがわかりやすく解説されています。

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