日下部重太郎の聞き書き――前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)先行研究①
前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)にかんする先行研究から以下のものをとりあげ、その意義を述べる。
①日下部重太郎1915「六九 前島男爵」『国語百話』丁未出版社、pp.143-147.
日下部重太郎(1876-1938)は国語国字問題の体系化に積極的にかかわり、常用漢字の選定にも寄与した国語学者であり、『現代国語』『国語思潮』などの著書がある。
日下部は1903(明治36)年に小石川の前島密宅を訪ね、そのときの前島による回想を聞き書きした。本件に関わる部分を以下に引用する。
普通教育について
まず、前島が漢字を廃止し仮名を用いるべきだと考えた起点が以下のように回想されている。
…十三歳で江戸に出て醫學を修めた。その後鄕里へ遊びに行つた時に、兄の子(五歳)に、昔噺の假名書き本や例の漢文の三字經などを江戸みやげに遣つた。甥は喜んで習ひ讀まうとするに、假名書きの桃太郎などは、容易く面白く覺えたが、「性相近、習相遠」などとある三字經の方は、餘程苦んでも覺えられなかつた。これを見(144/145)て私は、平易な假名文で普通敎育を施し、一般人民も假名文を用ゐるやうにしたら、甚だ便利であらうと、つく〲思つた。
ここには「普通教育」という用語が見える。この記述からは前島13歳の頃に既にその用語があったかのようだが、それは考え難い。ただし、「普通教育」という用語自体は、1875年に公文書に初めて登場するが、それより前に前島が「漢字御廃止之議」で用いたのが初出であろうとされる(武田1990)。
そもそも、女子供はすでに仮名に馴染んでいたわけだから、ここで言う「一般人民」の指す意味は「男子も」となるのではないか?つまり、「男子も仮名文を用いれば効率的に教育を施せる」というのが、前島の普通教育観の礎だったのではないか。
ちなみに、「暗記効率」が勉強の肝であると考えているふしがあるが、これは多分に暗唱第一の時代潮流によるものであろう。
宣教師ウィリアムズとの関係
もうひとつ重要な点があり、それが以下の長崎時代の回顧である。
十九歳の時に、黑船が浦賀に來て、我等に太平の眠りをさまさせた。さうして國字改良について私の信念を更に深からしめたのは、その後長崎で米國の宣敎師ウィリヤムといふ人の話を聞いた事である。この人は新敎の監督敎會の宣敎師で、布敎のために支那へ渡り、咸豐の末まで支那語を學び、支那人が古文體とを用ゐて居る事を如何にも不便利に咸じた。それから日本に來て神道を硏究するために、古事記その外の書物を學んだ。所が、日本文は漢字を音と訓と様々に用ゐ、支那文を學ぶよりも困難であるとなげいて居た。この人に日本文を敎へてゐた友人の引合せで、私はこの人に面會し、後に慶喜公への上(145/146)書の中に御參考として認めた所の話を聞いたのである。その時は文久の頃で、この人は六十歳ほどに見えた。折を得たら、大君(將軍様)に、日本人を文明にするには、先づ國字を改めねばならぬと申上げるやうにしたいと話してくれた」と。
このように、従来、仮名文の効率性を考えていた前島が、米国宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ(のち立教大学創設)と出会ったことで、「国字改良」つまり「漢字や仮名をどうするか」という問題について「信念を更に深」くしたのである。
ウィリアムズは支那人の「古文體」つまりは「漢文/古代漢語」について「不便利」との疑義を呈し、そして日本文の習得は支那文の習得よりも「困難」であると考えた。また、これが日本の近代化における大きなハンディキャップであるとも考えていたようだ。
つまり、古代の用法を残した漢文よりも、漢字かな交じり、かつその漢字に音訓がある日本の書き言葉を「学習効率性」において批判し、日本の近代化にはその改良が必要と考えていた、と言える。
これはのちの前島の思想に、たしかに大きな関連性を見出しうる。
なお、私は1月18日に「前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)小西信八、前島各序について」という記事を書き、そこで漢字廃止構想を披露し始めた前島の長崎時代について触れているので、そちらも参考としていただきたい。
まとめ
こうしてみえてくるのは、前島は言語の習得効率性をその第一に考えていた、ということである。ここからは、習得達成度によって強烈に社会階層を分ける科挙制度下の漢文のような考え方はないことがわかる。
書き言葉から漢字を廃止して習得効率化をはかり、特に男子があまねく迅速に仮名文に習熟することが、日本の近代化において喫緊の課題である、という前島の思想と、その起源がうかがえる先行研究(というより資料)である。
じつは、この資料は安田敏朗『漢字廃止の思想史』(平凡社、2016年)のみでしか取り上げられておらず、ウィリアムズの影響はここでしか論じられていない。彼の言語観をさらに研究すれば、前島への思想的影響を論証できる可能性があるが、それに関しては今後の課題としたい。
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