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書くことよりも、話すことの方が難しい
今日初めて、自分を取材してもらうという体験をした。
インターン先では、企業で働く人のキャリアや人生についてを記事にする仕事をしているのだけど、僕も記事になることになったのだ。
取材をしている場面を見たことはあるけれど、取材を受ける側は初めてで、僕は最初ただただ緊張していた。オンラインの取材なのだけど、いつもより周りを見てしまうというか、心が浮き足立つ感じだった。地に足がついていない感じ。
取材をしてくれるライターさんの自己紹介も、ほとんど耳から耳へあっという間に通り過ぎていってしまうくらいには、緊張した。
それでも、始まってしまえば、ライターさんからにじみ出る優しげな雰囲気に飲み込まれるように、緊張も薄れていった。
45分くらいの間、自分のことを聞かれ、話してを繰り返した。
終わってみれば、あっという間だった。そう感じるくらいには、緊張もなく心地よい時間がそこにはあった。人にじっくり話を聞かれる。自分を語るというのはこういうものなのだという実感を、終わってから持った。
ただ、振り返ると、話すのが下手くそだったなと思う。書くことは、ある程度筋を立ててすることはできる。なのに、話すとなるとてんでだめだった。
どんな質問が来るかは、普段自分が原稿に触れていることもあり、ある程度想定できていた。にも関わらず、思った通りに伝えることはできなかった実感がある。
即興で話を組み立てることが、苦手なのかも知れない。書いているときは、自分の好きなように構成を立てることができるし、読みやすさを意識することだってある程度ならできる。
それに、書くときには、自分に持ち時間がかなりある。余りあるといってもいいほどにあると思う。これはかなり大きい。その日書いたものを必ずしもその日に伝える必要はないし、寝かせておくことだってできる。そういう意味で、自分の持ち時間の縛りが少ない。
ただ、話すとなると、目の前に相手がいる。相手がいる時間というのは、有限である。つまり、持ち時間は少なく、縛りがある。そんな短時間の間で、伝わりやすくなるように順序立てて論理的に言葉を選んで話すことが、僕は得意ではない。
思いつくままに話してしまう。そして、終わってから気づく。きちんと順序立てていなかったな。伝わったかな。あんまり、うまく話せなかったな。
そういう気持ちになる。
以前、他己分析で「テキストの方が饒舌」と言われたことがあるけれど、その言葉通りであると、実感をする。
それでも、うまく話せなかったという実感は脇に置いて、「今日の話を、記事としてどんな形にしてもらえるのか」と、楽しみな自分もいる。
そしてそれを見るとき、きっと僕は気恥ずかしい気持ちになるとは思うけれど、それを待ち遠しく思う自分がいることも、また事実なのだ。
まだ先のことだけれど、淡い期待を胸に抱いている。