人のふり見て我がふり直す
他人の行いの善悪を見て、自分の行いを反省し、改める。
そんな意味のあることばだ。良い行いを真似るのもいいけど、悪い行いを見て、直す、意識することも大事だなと思う。
電車で沸き起こった疑問
少し前、平日の夕方16時半くらいに、都内で電車に乗った。
平日でも、まだ通勤時間のピークではないから、電車は空いていた。
それこそ乗り始めは、乗っている人が一席間隔を空けて座って、席が埋まっているくらいだった。
僕は、たまたま、端っこの席が空いていたので、そこに座る。
そうして次の駅。向かい側の端の席が空き、そこに、ドカッと体格のいい男の人が座った。そして、隣の席には、背負っているかばんを置く。
その時は、席は混んでもいないし、目にはとまらなかった。
しかし、だんだん駅を経るにつれ人が増えていく。
そこで、ちらっと、スマホの画面から目を上げる。でも、その人はかばんをおいたままだ。
もちろん、人がびっしりというわけでもないのだけど、ある程度席が埋まるくらいの人だった。ちらほら、空いている席はあるけど、自分から見える範囲の車両の席は8~9割埋まっていた。
そんな中で、かばんを席に置くことに疑問を持った。「この人は何を考えているのだろう」と。
上のかごは空いていたから、そこに置くことだってできる。身体的にも、見たところ、「届かなくて……」なんてこともない。のに、ただかばんを置く。
(僕には想像がつかなかったけど、もしかすると、かばんを横に置くしかない理由があったのかもしれない)
たしかに、その人の視点から見ても、電車は満員でもないし、他にも少し空いている席はある。
でも、新しく乗ってくる人からすれば、選択肢が減る。
誰だって、かばんのある席に行き、「どかしてくれませんか?」なんて言いにくいはず。なにより面倒だ。
「だれもすわっていないから」という理由はあるのかもしれない。でも、誰も居ないからと言って、かばんを置いたままだったら座れないのだ。
誰も座らないから、席が空いているのではなく、荷物があるから席が空いている。そんなこともあると思うのだ。
それを見て、自分も気をつけたいなと思った。それこそ、電車なら座る時に、足を開きすぎないとか気をつけたい。
もちろん、人がほとんど居ないくらいに空いているときなら良いと思う。でも、そうではない場合に、周りがどう感じるかを考えることは大事だなと思う。
結局、終点まで、その人はそのままだった……。
状況が選択肢を塞いでしまう
電車に限らず、状況が選択肢を塞ぐなんてことは他にもある。
例えば、先輩に「タバコ吸っていい?」って聞かれたときとか。ある程度知っている仲ならまだしも、少々「断りにくい」。
この場合、「タバコ吸っていい?ほんとに嫌なら、言ってね。場所変えるからー」とか、ちょっとした言葉を補足してもらえたら、自分なら断ることができる。
でも、流石に、電車に座っている知らない人は「言ってくれたら席開けるよ」とかは思っていても、口にはしない。
そこが難しいのだ。
状況が選択肢を塞ぐ。これは、自分もやりかねないことだ。
例えば、四人組で「お昼何食べる〜?」と聞いた時、一人が、「俺は、そば以外食わん!!!」とか言ったら、他の人は「そばでいいよ」となる。
もしかしたら他の三人は、心のなかで「はあ?私は圧倒的ラーメン。ラーメンしか勝たん!!!」なんて、つぶやいているかもしれない。
公平性というか、状況をみるというか。自分がどう影響を与えるのかを考えるのは大事だと思う。もちろん、しすぎると窮屈なわけだけど。
でも、外とかはそういう意識を持っていても良いのかなと思う。家の中なら、外より自分がルールになることのほうが多いはずだ。
そんなことを思う。だから、「人の振り見て我が振り直す」のは大事なのだ。
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