産業医のお医者さんに聞いた、人が鬱になってしまう理由

なんとなくだけどnote始めてみた。

もう6年くらい前の時だったと思う。うちの会社では、長時間働いてる社員に対して産業医との面談が設定されるというものがだいぶ昔からある。(今はもっと色々ケアがあるけど関係ないので割愛)

昨今、世の中的に色々な問題があって働く時間に対してしっかり向き合ってるものの、一昔前はそんな事は無かった。

そんな事は無いと書くと語弊があるのだけれど、「時間は見てるしケアもするけど、本人が働きたいんだったら働いていいよ、ただカラダ壊したら元も子も無いから無理しないでね。」みたいな感じだった。

たしか2年目とか3年目くらいで、良く働いていたと思う。誰に強制されるわけでもなく、働くのが楽しくて楽しくて、とにかく働いてた。深夜に人がいなくなるのを良いことに大声で熱唱したり、深夜に誘われて喫煙所で飲む先輩とのコーヒーとかめっちゃ楽しかった。(ちなみに自分はタバコは吸わない)

ちなみに今考えると、深夜に頭が働いているわけもなく、ネットサーフィンしたり寝落ちしたり、まあだいぶ無駄だったと思う。

話が脱線したが、そんな感じだったから「産業医の面談を設定したので受けてください」みたいなメールが人事から送られて来た。

最初は「いやいやいや、俺が勝手に働いてるんだから好きに働かせてくれよ。余計なお世話だわ」と思って無視していた。無視したあと、また設定されてメールが来た。それでも「いや何で俺が行くんだよ、疲れてもないし、むちゃくちゃ楽しいわ。それを伝えるのにマークシティまでなぜ移動しないといけないんだわ、時間の無駄すぎ」とか思って無視してた。

また設定されては無視の繰り返し。何度か無視した時に、そろそろ罪悪感が芽生えてきた。「設定してメールしてくれる人もいるし、何より産業医さんの予定を何度もすっぽかしてるんだよなぁ...」

タイミング的にも余裕が出たので、6回か7回くらい目の設定された面談に顔をだしてみる事にした。

「何聞かれるんだろう、さっさと終わらせて仕事に戻ろう」と思って設定されたmtgルームに顔を出した。

産業医さんが明るく迎えてくれたのを覚えている、なんと言っていたかは覚えていないが「良く来てくれましたね」的なノリだった。恐らく察するに、その前でもだいぶドタキャンを食らって、めちゃくちゃ暇だった所に念願の仕事相手、もとい話し相手が来たのが嬉しくなったんじゃないかって思うくらいノリが良かった。

その時聞かれた内容は全く覚えていない、「仕事は充実してます」「疲れてません」「良く寝れてます」「不安な事は特にありません」みたいな回答をした気がする。聞かれた内容にもすぐに答えて一瞬で面談が終わってしまった。ただ上記の産業医さんの雰囲気と、時間もだいぶあまりそうだったので、どうせならということで気になることを聞いてみた。

「ちなみに質問してもいいですか?人ってどういう時に気持ちが折れたり、鬱になったりするんですか?」

久しぶりに来た話し相手との時間が一瞬で終わってしまい、また暇を持て余すと思っていた産業医さんには最高の質問だったのか「よくぞ聞いてくれました!」みたいな顔で説明をしてくれたのを覚えている。(ちなみに本当に暇だったのかは分かりません、自分の勝手な想像です)

「人が会社で鬱になってしまう原因のうち、多いものが3つあります。まず、上位の3番目からお伝えしますね…」産業医さんはもったいぶる様に説明してきた。

この質問をしている時に、1つだけすぐに要因として思い浮かぶものがあった。それは「労働時間」だ。なぜなら自分は長時間労働でこんな場所に呼ばれてるんだから、それが要因に入ってない訳がない。他の2つは知らないが、これが1番多い理由だろうと直感的に思った。

「まず、第3位は【労働時間】です。」

一瞬、面食らった。確かに上位に入ってくるとは思っていたが、労働時間が第3位?「へぇ~」と本気で相槌を打った。今自分が呼ばれている要因は3位の要因なのか、と。

「そして第2位が【やりがい】です。」

ほほ~、なるほど。人はやりがいが無いと気持ちが折れやすい。たしかに、クソつまらない自分にとって意味のない仕事をやり続けるのは辛いのかもしれない。

「そして、第1位は【人間関係】です。」

たしかに...よくよく考えてみればそりゃそうだ。人とギスギスしてる時って全く集中できてない。「なんであんな事言っちゃったんだろう」とか「これ持ってく時にどう伝えよう…」とか、生産性もすごく落ちるし、とにかく精神的に疲れる。

産業医さんは続けた「これらは、複合要因だったりすることも多い。どれがどうっていうのは人によって違ったりするからね。」

なるほど、これで自分について説明ができた。自分は人間関係で全くストレスがなく、やりがいがめちゃくちゃあるから、ぶっちゃけどれだけ働いても何ともなかった訳だ。「って事はあれだ、人間関係がノーストレスでやりがいがめちゃくちゃあったら、無限に働いていいじゃん、勝利!」って思った記憶がある。(もちろんそんな事ない)

そして、最近の日本政府の残業時間の規制についても納得感がある。「人間関係」と「やりがい」は数値にする事は難しい。だから1番現実的かつ管理のしやすい「労働時間」というものを規制しているわけだ。

最近入ってくる新卒は昔ほど沢山働くことはできない。それを一昔前の人たちで「好きなだけ働けなくて可哀想」みたいに言ってる人がいて、自分もそう思っている節がある。ただ時代の流れもあるし、そういう事を言っちゃいけない雰囲気ってのがあって、おおっぴろげには言えない。

ただ、自分の経験からもそうだし、産業医さんに言われて確信に変わったけど、環境が自分にFITしていれば働く時間で制限してしまうのは本当に勿体ないなと思ってしまう。

大きな成果というものは圧倒的な熱量と執着から生まれる。それは働く時間という事ではない。特に就業時間みたいな会社にいる時間という事ではなおさら無い。ただ、環境として情熱を注いでいい時間が制限されるのであれば、どれだけ工夫して仕事と向き合うのかが大事になってくると思う。

データ入力とか、エクセル作業とかそういう事も大事だけれど、考えることは会社じゃなくても出来る。やれることは沢山ある。時間を制限しただけで、情熱や執着は誰も制限していない。

こういうことを書くと、家に居る時も仕事しろってことか!みたいに勘違いする人がいるけど、そういう短絡的なことじゃない。「仕事しろ」という表現を使ってる時点でその人はやりがいは持ってないからそもそもこの議論の対象外の人だ。これは強制の話ではない。やりたいと思ってる人の背中を押す本質的な話だと思ってる。

ちょっと長くなるからあれだけど、この議論にはもう1つメッセージがある。簡単に言えば、量⇒質の転化はある一定存在してるから前より働けなくなってるってことは相当頭を使って仕事をしないとヤバいよってこと。

ぶっちゃけ、こんな話を聞かなくったって、やってるやつはやってる。差がどんどん開くぞ、と。

そんなことを思った初noteでした。

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