お金の「起源」を巡る商品貨幣論と信用貨幣論。
お金の「起源」とされるものには、大きく分けて2つの学説があります。
1つは原始的な社会で行われていたとされる「物々交換」において、誰もがその価値を認めるものが「お金」の役割を果たすようになり、それが金(金貨)や、金への交換が約束された紙幣(兌換紙幣)になっていったという『商品貨幣論』という学説。
もう1つは、原始的な社会や地域社会の中で、一定の信頼関係(信用)の中で生まれていった「負債の記録(貸し借りの記録)」こそがお金の起源である、という『信用貨幣論』という学説。
一般的にはテレビなどのメディアで著名な経済学者や知識人などが前者の『商品貨幣論』を「お金の起源」としているため、こちらを「お金の起源」と捉えている人が多い傾向にあるかもしれません。
ただ「歴史学」における見地においては『商品貨幣論』を裏付ける記録などが乏しい状況にあり、現代の経済(経済学)の見地においても『信用貨幣論』の方が、多くの経済現象を説明できる状況にあるのが実情のようです。
お金の「起源」を巡る商品貨幣論と信用貨幣論。
お金の起源を『商品貨幣論』に辿る場合、この学説は原始社会の商取引の出発点が「物々交換」であったことを大前提としています。
商品貨幣論において「お金」は、商品と商品の交換の利便性を高められる「商品」であり、誰もがその交換価値を認める「商品」として、金や銀などの貴金属が「お金」に選ばれたと考えます。
ですが、原始社会からの「人間の経済」の系譜において、実際に物々交換が商取引の中心であったことを裏付けるような客観的な記録や文献などが見つかったことは無く、この大前提となる部分が推論の域を超えていない現実があります。
対して、貸し借り(債権)の記録にあたるものは、古代メソポタミア(紀元前3000年~2000年頃)の時点で、それらの記録を意味していたとされる粘土板などが見つかっています。
このような記録から分かることは、物々交換を中心とした経済が成り立っていたことを裏付ける記録は見つかっていないものの「信用経済の原型となる負債の記録などはこうして見つかっている」という点です。
そこから「貝殻」や「貴金属」などが貨幣(お金)として流通するようになっていった事は、あらゆる歴史上の遺跡や物的証拠などからも分かっています。
そこで重要なポイントとなるのが、歴史上このような貝殻や貴金属が、どのような経緯で人々の手に渡って「お金」として使用されていくに至ったか、です。
それこそがまさに「お金の起源」を巡る議論(学説)の分岐点であり、商品貨幣論では、その経緯をすでに述べたような「物々交換の利便性」に求めています。
ですが、上述した通り、そもそもの「物々交換経済」というもの自体を裏付ける客観的な物証などは、古代のあらゆる文献や記録において、見つけられていない状況にあります。
対して、信用貨幣論では「貝殻」や「貴金属」の流通経緯が、まさに『負債の記録』や『負債を証明するもの』であったと考えています。
お金の起源は「負債」の証明?
お金の起源を「負債の記録や証明である」と考える場合、何かの商品(農作物など)を提供した側(債権者)が、その提供を受けた側(債務者)から、それを証明するものを受け取ります。
その「証明の記録となるもの」は、少なくとも、時間の経過によって消失してしまうものでは意味がないため、そこで物理的な「保存」と「耐久性」に優れたものが、そのような「負債の記録」として選ばれることになります。
まさにそのような「保存条件(耐久条件)」を満たせるものが、貝殻や貴金属だったということです。
少なくとも、古代人に紙(紙幣)を作り出す技術や、印刷の技術などがあるはずもありません。
また、次第に「貝殻」の方は、それを容易に入手できてしまうという点で「負債の証明としての利便性には欠ける」ということになります。
結果として、最終的には「お金(負債の記録)」としては『貴金属』が選ばれるようになり、このような経緯が信用貨幣論における「お金の起源」に他ならないということです。
現代の「お金」をどう解釈するか。
お金の起源において、異なる視点に立脚する「商品貨幣論」と「信用貨幣論」は、現代における「お金」の解釈も、真っ向から対立することになります。
そもそも商品貨幣論においては「誰もがその価値を認めるものがお金の条件を満たす」という論理から、現代における「お金」を説明付けるのは難しい学説となっています。
実際に「お金」が、金や銀などを素材として作られた硬貨や、それらとの交換が保証された紙幣(兌換紙幣)だった頃は『誰もがその価値を認めるものがお金の役割を担った(担っている)』という理屈が成り立っていました。
むしろ、ひと昔前の「金本位制」という、金とお金の交換比率を定める貨幣制度そのものが、商品貨幣論に立脚した制度だったわけです。
ですが、1971年の米国リチャード・ニクソン大統領による米ドルと金の交換を停止する宣言(俗に言う「ニクソン・ショック)」を皮切りに金本位制は終わりを迎え、現代の「お金」は金などの貴金属との交換を一切保証していません。
金との交換が保証された「兌換紙幣」から、そのような保証が一切無くなった「不換紙幣」に、お金の在り方そもののが変わったことで、少なくとも、お金は「誰もが価値を認めるもの」ではなくなったということです。
金との交換保証などが無くなってしまった以上、ただの「紙切れ」に価値を見出すような人はいないはずだからです。
ただの「紙切れ」が「お金」としての価値を伴う理由。
現代の「お金」において、商品貨幣論では「誰もがその価値を認めるものはお金の条件を満たす」という論理から『たとえ金との交換保証が無くなっても、それを誰もがお金と認める限り、それはお金で在り続ける』という「共同幻想理論」を提唱します。
それが実質的には一切の価値が伴わないようなものであっても、それを誰もが「価値がある」と思い込む限り、そのような「共同幻想」が、お金の価値を作り出すというわけです。
ゆえに、現代のお金がお金として価値を保てるのは『そのお金を使用している人同士が同じ幻想を抱いているためである』というのが、商品貨幣論を起源として捉える場合の「お金」の捉え方になります。
対して、信用貨幣論に立脚する場合、現代の「お金」は、国家における政府やその中央銀行などが発行しているため、これを「国家の信用」に基づいた「国家の負債」と考えます。
少なくとも、国民は国家に対して「納税」などの義務を負っていますので、納税という形で国家に支払われる税金は、実質的に国家が抱える「負債の解消」を意味します。
多くの人はお金を民間の商取引で使用するため、そのような際に使用するお金を「国家の負債」として意識することはないかもしれません。
ですが、信用貨幣論において「お金」は、その起源においても、現代のお金の解釈においても、それは紛れもなく「負債」であり、確固たる「信用」に裏付けられた負債は、まさに「お金」の役割を担うことができるということです。
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併せてこちらは「お金の価値の裏付けは何なのか」というテーマのコンテンツとなっていますので、是非、併せて参考にしてください。
「商品貨幣」と「信用貨幣」の論争。その帰結。
以上が「お金の起源」を巡る2つの学説、商品貨幣論と信用貨幣論の概略とその成り立ちなのですが、この論争は歴史的な「経済」の発展と共に中世、現代と、今現在もまだ決着はついていません。
そして、このような「お金の起源」に巡る論争は、実質的に「お金の本質」を巡る論争でもあるのが実情です。
その「本質」をどう捉えるかで、現代において、お金そのものを実質的に管轄している「国家」のお金に関わる、あらゆる経済政策そのものの根底が変わってしまう側面があるからです。
ただ、歴史的にも今現在においても、日本や米国などの資本主義国の多くが行っている経済対策は、どちらかと言えば「商品貨幣論」の思想を出発点とするものが多くを占めています。
そして、それこそが歴史的にも各国の景気の低迷や不況の元凶に他ならないものだったと主張している経済学者も少なくありません。
一見、現代の経済には無関係に思える「お金の起源」そして、その「本質」を巡る学説や思想は、現代の実社会にも、実は大きな影響を及ぼしているということです。
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歴史的には、お金の価値を「金」や「銀」などの貴金属と結び付けるべきだと主張していた「金属主義」に立脚していたのが商品貨幣論。
対して、必ずしも、お金の価値を貴金属に結び付ける必要はないと主張していた「表券主義」に立脚していたのが信用貨幣論です。
そんな金属主義者(商品貨幣論者)と表券主義者(信用貨幣論者)の論争と、それらに伴った貨幣制度や経済政策がどのような結果をもたらしてきたのかに興味があれば、以下のようなコンテンツも併せて参考にしていただければと思います。