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教育格差の真実。親の所得と知能・学力・学歴の相関について

いわゆる『教育格差』の問題は、教育水準の優劣(不平等)が、知能、学力、学歴へ影響を及ぼし、それが「所得」や「生涯賃金」の格差に連鎖することにあると思います。

これを実際に裏付けるものとしては、幾つもの学術論文などでも述べられている以下のような相関関係が、この『教育格差』の問題を、ほぼそのまま物語っていると思います。

親の所得と子供の学力には正の相関がある(資料1・資料2)
所得階級が高い家庭の子供であるほど学力が高くなる傾向がある
学歴と所得には正の相関がある(資料3・資料4・資料5)
高額歴であるほど所得、生涯賃金も高くなる傾向がある

資料1:国立大学法人お茶の水女子大学(H26.3.28)
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」より
資料2:国立大学法人お茶の水女子大学(H26.3.28)
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」より
資料3:厚生労働省「省平成28年賃金構造基本統計調査」より
資料4:厚生労働省「省平成28年賃金構造基本統計調査」より
資料5:上場企業上位20社までを対象とする各大学卒業生の就職先データより
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO15805150X20C17A4000000/

なぜ、親の所得と子供の学力が相関するのか。


このような「親の所得」と「子供の学力」の正の相関、および「学歴」と「所得」の正の相関は、日本のみならず、どこの先進国でも共通して見られる傾向となっています。

この最もらしい理由は『富裕層は子供の教育にお金をかけられる(水準の高い教育環境を与えられる)』というものであり、一般的に言われる『教育格差』は、この部分の不平等のことを指していることが多いです。

ですが、これはせいぜい小学生や中学生レベルの段階で現れる「学力の優劣」に寄与する部分でしかなく、実際には、それ以前の段階で、親の所得(経済格差)が『学力以前の優劣を生み出している』と考えられています。

具体的には、0歳から2歳または3歳までの間の幼少期において、すでに子供の「知能の優劣」が、ある程度の範囲で決定されるという研究結果があり、その要因として、親と子供の一対一のコミュニケーションの頻度、時間の長さが関係していると言われています。

Bernal and Keane (2011)は、1996年の米国の福祉改革を利用して、シングルマザーの子どもについて、0~2歳における母親の養育時間のばらつきを生み出す実験を行った。0~5歳の子どもに焦点を当てると、母親と一緒にいる時間が短いほど3~6歳の就学前学力テストの得点にマイナスの効果があることがわかった。
-中略-
0~2歳時のデイケア(保育所の利用)が8~14歳時の認知・非認知能力に及ぼす因果効果を研究し結果、デイケア(保育所の利用)を1ヶ月延長するごとにIQが0.5%(標準偏差の4.5%)低下することが示された。保育園児は大人との1対1のコミュニケーション頻度が低くなることが影響していると考えられる。

0~2歳の保育にかかる認知的・非認知的コスト
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2737370

基本的に保育所のような乳幼児の保育施設では、0~2歳までの乳幼児が、第3者(大人)と頻繁に一対一のコミュニケーションを取ることができるような環境が与えられることはありません。

このような保育施設の利用頻度は、実質的に両親の経済状況と相関があり、とくに貧困層に多い傾向がある「共働き世帯」「ひとり親世帯」などは、必然的に、その利用頻度が高くなります。

結果として、そのような世帯の子供は、幼少期の大人(両親)との一対一のコミュニケーション頻度、時間の長さが低くなるため、これが「知能」の発達を低下させる可能性があるということです。

経済格差が幼少期からの「知能」にさえ影響を及ぼす。


ここで今一度、以下の資料を示します。

資料1:国立大学法人お茶の水女子大学(H26.3.28)
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」より
資料2:国立大学法人お茶の水女子大学(H26.3.28)
「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」より

親の所得に対する小6、中3時点の学力の相関は明らかななものですが、貧困層に多い家庭環境の実情から「知能の発達」における優劣がすでに生じていると仮定する場合、上記の「学力の優劣」の要因は、以下の2つに分けられることになります。

幼少期における知能発達への寄与(保育施設の利用率)
-富裕層であるほど相対的に乳幼児とのコミュニケーション頻度が高く、貧困層であるほど相対的に乳幼児とのコミュニケーション頻度が低い。

子供への学習や教育への投資(英才教育、有償教育の度合い)
-富裕層であるほど子供へのより高額な英才教育、有償教育を行えるが、貧困層であるほど有償教育を行うことができない。

この2つの要因のうちのどちらが「学力の優劣」に寄与しているかを明確にできているような研究結果は、現時点では、おそらく無いものと思います。

そこがまだ明確ではない以上、親の所得と子供の学力の相関が富裕層の英才教育や有償教育の産物であると断定することはできません。

仮に『幼少期における知能発達への寄与(保育施設の利用率)』の方が圧倒的に、その後の「学力の優劣」に影響を及ぼしているという場合、これはもはや「教育格差」の問題ではないことになります。

まさに「経済格差」がダイレクトに影響している事はさることながら、共働き世帯、ひとり親世帯の増加(資料6・7)など、社会全体における「育児の在り方」や「乳幼児教育」という新たな分野における重要課題に他ならないということです。

資料6:労働政策研究・研修機構(JILPT)「専業主婦世帯と共働き世帯の推移」より
資料7:厚生労働省「令和3年(2021年)全国ひとり親世帯等調査」より

知能、学力の優劣は「学歴」「所得(生涯賃金)」の格差へ。


学力の優劣が学歴の優劣に相関することは言うまでもありません。

また、仮に学力の優劣が生じていないとしても各家庭の「経済格差」は、義務教育後の「進路」および、その「選択肢」においても、大きな影響を及ぼします。

より専門的な高等教育や、海外留学といった選択肢の有無など、まさに貧富の差(富の不平等)が高校教育、大学教育においても、その教育水準を大きく左右することになります。

それがそのまま「学歴」「所得」「生涯賃金」の格差にまで連鎖していくことになるということです。

そして、更に問題なのは、この「連鎖する負の格差」は、世代さえも跨いで同じ「負の格差」と「負の連鎖」を生み出し続けてしまうことです。

低所得層の家庭の子供が統計的に低学力・低学歴・低所得となってしまうことが明らかな以上、当然、このような「負の連鎖」は、世代を跨いで継続してしまうことになります。

逆に高所得層の家庭の子供が統計的に高学力・高学歴・高所得となる以上、これも世代を跨いで受け継がれる形になってしまうということです。

この議論はあくまでも統計的なものであって、個別的な事例を挙げれば、低所得層の子供が高学力・高学歴になることもあれば、高所得層の子供が低学力・低学歴になることもあります。また、高学歴でも低所得になる人もいれば、低学歴でも高所得になる人もいます。ただ、そもそもの「統計」は、そのような個別的なケースも含めての「統計」ですから、総体的には、上述したような「負の連鎖」が、現実に世代をまたいで「格差」を生み出し続けることを表しているということです。

学力と学歴、そして所得・生涯賃金の水準は「親の経済力」で決まってしまう。


生まれ持つ才能や能力を選ぶことができないように、生を受ける家庭、親を選ぶこともできません。

ゆえに、生まれつきの能力や才能に優劣があるように、親の経済力に優劣があるのも、ある意味では「自然の摂理」と言えるものだと思います。

ですが、幼少期からの「家庭環境の格差」および「教育水準の格差」は『そのような格差が生じてしまう社会に責任がある』という見方もできると思います。

生まれ持った能力の優劣は、自然的な『神の手による格差』にあたるものですが、その後の教育格差などによって生じる能力の優劣に関しては、形成された「社会」による『人為的に形成されている格差』と言える側面があるからです。

少なくとも、このような「教育格差」などは、社会における「教育制度」などを改めることでも、その格差自体を無くすことが不可能というわけではありません。

このような社会的、人為的な要因に基づく格差は、少なくとも「是正の余地がある格差」に他ならないため『それを是正する方がより公正である』という場合、それは実質的に「現状が公正さに欠けている」ということを意味します。

現行の制度が本当に「公正なのか」を考える。


このような「教育格差」も含めて、親の経済力の優劣に伴う形で生じている、あらゆる「格差」が存在することは、社会にとって「公正」と言えるのかどうか。

これを異論の余地なく「公正」と考えるのであれば、上述したような、世代を跨って連鎖する「負の格差」も『公正な社会の上で生じている正当なもの』ということになります。

ですが、少なくとも、このような「教育格差」に関しては実質的に「是正できる余地」があるため、それが『公正ではない』という声が大きくなれば、現実に社会やその制度の変革は、いわゆる「民主的な手段」で十分に可能なものになっています。

例えば、親の経済力に伴う教育格差や学歴格差の是正という点では、以下のようなものが考えられるかもしれません。

・幼少期からの教育制度の導入(義務教育の拡大)
・高校教育、大学教育の義務化または無償化(無償教育の拡大)

いずれも、仮に実現する場合には「教育」という部分への支出(歳出)の拡大が伴います。

ですが、そもそもの「義務教育」というのは、社会全体の秩序や発展において、社会を構成する全構成員の知的水準、学力水準の最低限の底上げが必要という観点も含め、日本では「教育の義務」が国民の三大義務の1つにもなっています。

この「義務教育」の制度において『社会全体の秩序と発展』という視点がある以上、現代の義務教育の範囲で規定しているであろう「最低限の水準」が、現時点の水準が「最善であるかどうか」は大いに疑いの余地があります。

仮に義務教育や無償教育の範囲を広げることで、そこに伴う支出以上の「社会的な利益」が生じるなら、このような対象にこそ「税金」を充てるべきということです。

現実に幼少期からの格差意識や貧富の差が重犯罪の「動機」や「遠因」の1つになっているケースは、決して少なくはありません。

法務総合研究所「無差別殺傷事件に関する研究」より

上記のように「自己への境遇への不満」を犯罪の動機とする犯罪者が最も多いという事実は、社会における「格差」を無くすことが、犯罪発生率の低下と治安の向上に寄与する可能性が十分にあることを表しています。

社会を構成する構成員全体の学力、学歴、所得水準の向上を図るような制度変革は、社会の「公正さ」と「秩序」そして「発展」にも、そのまま大きく寄与する可能性さえあるということです。

***

富の連鎖と貧困の連鎖、そして、それが世代を跨いで受け継がれてしまうような社会や制度が果たして「公正」と言えるのか。

富裕や貧困が、本当に自分自身の努力の結果であるなら、それは現代社会の宿命かもしれませんが、実際にはそうではない要因で貧困から抜け出せていない人達がいる可能性は否定できません。

上述したような「教育制度」は、富裕層が富裕層であり続け、貧困層が貧困層であり続ける『連鎖する負の格差』を生み出している「氷山の一角」に過ぎないのが実情です。

そんな現代社会における貧富の差、富の不平等の原因について、もしご興味があれば、以下のような記事も併せてお読みいただければと思います。

世襲権力の正当性、不当性の考察(準備中)
租税における富の再分配についての考察(準備中)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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