ある大学生の「終活」。
大学生にとっての「シューカツ」といえば、もちろん「就活」な訳です。大学が教育機関ではなくある種の就職準備機関と化してしまった昨今においては、この傾向はますます強くなっていると思います。ただ僕はまだそういう活動を本気でしたことがないので、就活についてのノウハウは全く知らない(むしろ真剣に教えて欲しいくらい)なわけで、ここではいわゆる就活については特に触れません。代わりに、僕が余命宣告を受けてからやってきた「シュウカツ=終活」について今日は書いていこうと思います。
「終活」とは、ご存知のとおり、死が差し迫っているものの、まだ死の瞬間までに多少の余裕がある人間が、”人生の店じまい” として終末期に自分の歩んできた人生の諸々を整理することです。ただ整理、と言っても複雑で、遺品の整理や遺言・財産分与といったいわゆる「堅苦しい」感じのものから、「久しぶりに旧友に連絡をとってみよう」みたいな簡単なものまであって、僕はそれら全てを含めて「終活」だと思っています。そして就活しても就職しなくていいように、終活したって死ななくていいわけです。もしそうなった時に備える、それが「終活」の本質なので、極論を言えばどうせこれを読んでいる人間みんな死ぬんですから、いつ終活始めたって早くはないし、きっと僕がやってきた「終活」を通して、もし突然死んでしまった時のこと、あるいはいつしか病気になってしまった時にアタフタしないように対策を考えてみる、そういう方々の参考になれば良いなと思い、ここに書き記しておきます。
具体的には、「死ぬ直前にやるべきこと」と「死んでからやってもらうこと」を、なるべく時系列と優先順位に沿って書きました。調べてすぐに出てくるようなものを書き連ねても仕方ないので、その辺はうまく割愛しています。僕は法律の専門家でも何でもないので、そういったことはそういったサイトで調べてもらった方がいいですし、僕もあえてそれをコピペして流してくるようなことはしません。実際に「死ぬ前にやっておくべきこと」とかいうワードで調べると、「遺産について書いておく」「借金が発覚して遺族に迷惑をかけるのは死んでも死にきれない」「金融資産については整理しておく」などお金や相続のことばかり出てきます。確かにそういうことを考えなければならない人も多いですが、「大学生の"終活"」において遺産の整理は重要ではありません(笑)
この記事で伝えたかったのは、あまり公になっていない(と言うよりは実際にその立場に置かれてみないと考え付かないような)もっと死に対する準備の本質を抑えた上での具体例(具体的な活動内容)という感じです。いわゆる終活について調べると、おじいちゃんおばあちゃんにとっての一般的な「終活」にとっては参考になるようなことを書いてあっても、デジタル社会で情報化の進んだ今、「大学生の終活」には全く参考にならないなという部分も多いし、もっとこんな風に工夫できるのにな、と思う部分も多かったので、そういう部分についても書きました。
前者(死ぬ直前にやるべきこと)に関しては、僕が死んだ時のために備えて今実際にやっていること・やろうとしていることを全て書きました。そして後者(死んでからやってもらうこと)は、区役所でアルバイトしていた経験(時間外窓口で死亡届や婚姻届、そして深夜の離婚届(!)を受けていました)も踏まえた事務的な死亡に関する手続きを、ちょっとした裏話も含めて書いたのと(こわーい深夜の離婚届の話も関係ないけど書いちゃお!)、遺された側の人間が故人のために何ができるのか、そしてそれをどのようにすべきかという視点でも(京大生なりの頭で真剣に考えて)書きました。書いていると次々と思いついて、自分の中での新しい気づきや思いがけない発見もたくさんあったので、ぜひ参考にしてみてください。
僕はこういう環境にいる立場上、事実として残念ながら多くの闘病仲間を亡くしてきましたし、その後どうしても「残された者」としての深い喪失感に襲われることが多々ありました。あるいは、突然大切な旧友を亡くしてしまったということも大学生になってから二度三度ではなく(これは多分僕自身の交友関係の裾野が広かったというのもありますが)、その度に「彼らがこの世界に置いていってしまったもの」「死が不可逆であるが故になされ得かったこと」について考えてきました。
といっても、まぁ俺にはこの記事関係ないなぁって思われる方が多いと思うので、ひとつだけ判断材料を置いておきます。もしこの言葉を噛んでみた時に、歯奥に魚の小骨が引っ掛かれば、読んでみてください。
「今、この瞬間に突然死したとして、あなたの遺影用の写真は(家族の誰かが持っている状態で)ありますか?」
(スマホやPCに写真入れてたって、死んだらパスワード分からないので業者に大金払わないとロック開けられないですし、それまでに葬式終わります。あとSNSの写真は一人で写ってるやつ意外と少ないですし遺影が自撮りはまじでダサいですよ!)
ない、という方へ。
人間、絶対に死にます。死に方を考えることは、生き方を考えることと同義です。だって死の瞬間までが生なのだから。その点で、もしかすると、このnoteが平坦な人生における「いつか訪れうる死」に対して、何らかの気づきのきっかけになるかもしれない、あるいはそうなってくれると嬉しいなと願っております。
あと、有料部分に僕の遺影用の写真を高解像度で貼っておくので、僕が死んだらそいつを額縁に入れていろんなところ連れてってください(笑)
え? みんながわいの顔持ち歩くん想像したらきもい? 知らんがな。
死んでないのに明日から持ち歩くのやめてくださいね、それはまじで普通に気持ち悪いんで(笑)
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