百人一首ってすごくね?
お久過ぎてごめんなさい...
タイトル通り、昔の日本人の詩ってすごくないっすか?!って話です。
何がすごいって、
「自分の感情、自分の身に起きている出来事を"もの"に例えて表せられる」って能力すごすぎません?!
例えば
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂
解説:山鳥のあのたれさがった尾のように長い夜を、私は一人で寂しく眠るのであろうか。
という解説なのですが、
長い時間を山鳥の尻尾の長さに例えるって今じゃ無理ないでしょうか?
例えるとしても、私なら「うーん、これぐらい」って言って両手で表現しそうです
例えるのものもお上品で、想像をはるか上のもので表現することにおしゃれさも感じます。
他にも
筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成院
解説:筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が積もり積もって深い淵となるように、私の恋心もどんどん深くなるばかりだ。
いやすごすぎるんよ。いまなら「好きーーー」で終わるものが、溝が深まるさまを川を利用しようとも思わないですよ...
散々こんなこと言ってきましたが、
「いやそんな能力もってどうすんねん」と思う方もいるかもしれませんが
私この能力めちゃくちゃほしいです!
なぜなら、もし習得したら、他の歌詞よりもお上品な「作詞」ができるかもしれませんよ!!
DISHの「猫」だって彼女を猫に例えて追いかけたくなる感情を書き連ねているのと同じように、工夫の使用があると思ったらワクワクしませんか?!
百人一首を学びたいと最近思ったユヲンでした。
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