山口達也さん騒動から見る「私たちとメディア」のあり方
こんにちは。スパイディです。
突如目に飛び込んできた報道。
山口達也さんが女子高生に無理やりキスしたこと等から強制わいせつ容疑として書類送検されたとのことでした。
SNSの世界でも瞬く間に炎上し、
ジャニーズに所属する1人のアイドルとして
その前に1人の社会人男性(46)として
山口達也さんの価値が問われているコメントで溢れかえっている状況です。
ただ、様々な意見や憶測が飛び交っている混沌(カオス)とした中でも、
私は今の日本人に棲み着いた"ある潜在意識"に興味深さを感じました。
潜在意識とは、意識の根底であり無意識と置き換えられます。つまり、"潜在意識=無意識"が成り立つわけです。
さて、今回の騒動を受けて、私たちが最初に思ったことは何でしょう。
「なんて馬鹿なことをしてるんだ。」「そういうイメージがなかっただけにがっかりした。」
上記のような阿鼻叫喚が液晶画面を通じて伝わってくることは言うまでもありません。
しかし、同時に「テレビに出ている人なのだから立ち回りには気をつけるべき。」「情報掌握が杜撰すぎる。ジャニーズ事務所のマネジメントはどうなっているんだ。」と、山口達也さんの1人の芸能人としてのブランディングに異を唱える気持ちも自然に生まれなかったでしょうか。
実はこれ、当本人の話題のように見えますが、微妙に違います。
正確に言いますと、後者に申し上げたセリフは「私たちが脳内で作り上げた山口達也さんという像」への感情であるのです。
何を言ってるんだ。
そう思われる方がいても仕方ありません。
私たちはテレビというものに小さい頃から慣れ親しんできました。
好きな俳優、アイドルが出来てからはバラエティ番組、ドラマ、音楽番組など、ザッピングしながらその人のことを追っかけた経験を持つ人は少なくないのではないでしょうか。
つまり、私たちはテレビの出演者と会うたびにその人の前回の記憶を脳内から持ち出し、本来なら断続性のあるものを連続性のある形へと変えてしまったのです。
すると、「〇〇くんが前言ってたあのセリフはここの伏線だったんだ。」「〇〇さん先週の番組からまるで成長してないんだ。」などなど、
喜びやショックを肥大化させて感じてしまうことが増えてしまいます。
私は、この感情を"無意識の期待"と名付けています。
無意識の期待はとても厄介なもので、
今回の山口達也さんの一件も本質は「強制わいせつ容疑で書類送検されたこと」であるのに、
「山口達也さんはそんな人ではないのになぜそうなってしまった。事務所はマネジメントしていたか。そもそも女子高生のハニートラップではないのか。」など、
憶測で飛び火をさせてしまう考え方になってしまいます。
よく、メディアの報道のあり方について話題になることがありますが、それも情報を受信する私たちの無意識の期待というフィルターが異常な拒否反応を起こしてしまって、本質が見えなくなってはいないでしょうか。
これからの時代、メディアを穿つ前にまず自分たちの考え方を穿つことが求められています。
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