いきものもけものももののうち Vol.13

「こんぷらいあんすってノンプライスレス」

どーもーコンプラコンプラ云うとりますけどもー
コンプライアンスってなんなのでしょうね。

想像力の低下、自分で新しいものが探せない、
なんだかつまらない時代に突入したなとは思っていた。

注釈がない、あっても見逃したならば
自分の想像力・理解力を置いといてやれクレームだとかぶっ叩き。
メンタルがーとか怒れないとか
今の子はそうぢゃないからとか云うけど、
客観してたら
なんだかどうにも物騒な世だよ。
怒れなくとも叱れるだろうと思うのだけど
きっとその差も詠み取れないほどいろいろが廃れてきているのだと思う。

痛みを伴うお笑いがなくなるらしい。

生レバーの時を思い出したけど、
それ、面倒くさいから全部禁止にしただけであって
もっとやり方あったよね?
と思ってる。
すべてが雑。
諸々への愛がなく、テキトーだと思う。

要るか要らないかも選べない。
何かを見せて悪影響を与えることなど
昔からずっとあったし、
多分テレビから笑いの範疇の暴力をなくしたとしても
ネットなんぞ自由に見られる世界では、
常にもっと過激なよろしくないものは見られるだろう。
勝手に線を引かれることは
現実とエンタメの世界と
区別もできないバカ扱いをされるんだなーと思ってる。

そのうちツッコミがこの世から消えるのではないかと危惧する。
ツッコミは愛だ。
会話の流れや空気をいっぺんに変えることが出来るし、
ひとの受け取り方で人の印象も言葉の意味だって変わって仕舞う。
笑いに昇華することは正義だと思う。

確かに、一億総お笑い芸人と思ってるひとが居るフシもあるし
お笑いを真似ることなんて昔からあった。
クラスの人気者だったりは大体そんな物真似だったりしたし、
小さいコミュニティだから笑えたものもあったし
そもそもそんなものはツッコミではなく笑いえない悪口で
履き違えてるものもあった。

コロナ禍に於いて、
さまざまな娯楽の自粛が強いられ、
あれもこれも我慢で鬱屈した日々の中、
お笑いやバラエティは救いだったし、
ドラマなど架空の世界に夢中になれることは
とても重要な時間だった。

摂取して、吐き出す、
が出来ずにバランスが崩れて、
吐くばかりの安易なコンテンツが流行り、
ネット世界の過呼吸感を感じた近年だった。

とりあえず、
都合よく法律を勝手に変えて仕舞うようなひとびとが上に立ち、
どのものにも本当には関心を持たずにテキトーに見て
多くを規制することは
愛がないなと思う。

大きなラブなど唱えないけど、
小さな愛もない世の中なんて
それこそ生きる気力がなくなる気がする。

想像すればすべてはわからなくともすこしは気持ちに近づけるし、
想像すれば桶屋の法則をもっと活用できるだろうし、
想像すればもっとマシな先を予測できるだろう。
わたしたちから想像することを奪わないでほしい。

想像。創造。
想像のない世から新しいものは生まれない。
愛のある想像を。
愛のある創造を。

未来に蓋をしないで。

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