重厚?軽薄?どっちだ!〜*落書きnote
こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
「ヒトの軽さ」は、人間関係の根底をくつがえし、信用を台無しにするという点で処世の「大敵」だ。
ひと頃、重厚長大、軽薄短小という言葉が流行した。重厚長大は、高度成長期の重工業を、軽薄短小は電気製品の軽量化・薄型化・小型化をさす。
軽薄短小は、転じて文化面・精神面で否定的な意味合いを持つ。
昔かたぎの恩師は寡黙だったが、酒が回るとよく「男は余計なことをいわないもんだ。不言実行こそ本当の値打ちがある」といった。それが恩師の処世訓だったのかもしれない。
確かに昔は「沈黙は金」だった。だが今は、黙っていてはわからない。「沈黙は損」の時代なのだ。
「沈黙は金」という言葉は若い人には通じないかもしれぬ。それはジェネレーションギャップ(世代間格差)といういより、ジェネレーションブレーク(世代間断絶)と言うべきか。
軽薄は軽佻浮薄の略。私の人生を振り返れば、忸怩たる軽薄の思いが募る。綴れば長編の悔悟録ができるかも知れない。
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
【お知らせ】いつもご覧いただきありがとうございます。これまでの「明日へのnote〜」を「*ホップステップnote」に改装しました。内容は、*写真、*落書note、*俳句巡礼の三本柱です。随時投稿。
*フォト ▽さて、五七五で入魂!!
*俳句巡礼 ▽鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな(与謝 蕪村)
季語は「野分=のわき」で秋。台風のこと。江戸時代の蕪村が、平安末期に思いをはせた句。
「鳥羽殿」は鳥羽上皇が院政を執っていた鳥羽の離宮。鳥羽上皇臨終の報に接した、崇徳上皇が嵐の中、騎馬武者に守られて鳥羽殿へ急いだという時代絵巻のような句。
この直後に皇位継承をめぐって後白河天皇と崇徳上皇が対立し、武士団を巻き込んだ「保元の乱」が起き、崇徳上皇は讃岐(さぬき)へ配流される。
【与謝蕪村=よさのぶそん】摂津国東成郡(現在の大阪市都島区)の生まれ、俳人、文人画家、俳諧中興の祖、1716年(享保元年)~1783年(天明3年)
【俳句手控え】江戸時代の「俳諧の句」が俳句になった。五七五の十七音で構成される。上五、中七、下五。伝統俳句は季語を入れるのがルール。それにとらわれない無季句、自由律句もある。日本独特の短文定型詩。
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