幅が広く奥行きも深い「まあ、ええがな」という大阪弁〜*落書きnote
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大阪人だった義父(女房の父)は生前、「まあ、ええがな」と言うのが口癖だった。「もう、いいだろう」という意味だが、人を包み込むような、なんとも温かい響きが懐かしい。
とにかく義父はユニークな人だった。
友人が夜逃げし、貸した金がパーになると「まあええがな」。
孫が友達とけんかして軽いケガをしても「まあええがな」。
別の孫の通信簿が「成績劣等」でも「まあええがな」。
ある時「どうして、いつも、まあええがな、なんですか?」と聞いたら、「あのな、人を責めるより許してやるという気持が大事なんや」とお坊さんのような説教を垂れる。
折も折、古本屋を冷やかしていたら、奇縁というのか「まあ、ええがなのこころ」(淡交社=2001年)という本をみつけた。著者は森村泰正氏。大阪生まれ、大阪育ちの現代芸術家。こう書く。
「何事も父は『まあ、ええがな』ですませる。家にドロボーが入っても『もうしゃあない、まあ、ええがな』だ。私が受験に失敗したり、会社を三日で辞めた時でも『あかんかったんか、まあ、ええがな』とくる」
ふーむ、世間にはこういう親父がいるもんだねえ。
ある時、派手な夫婦げんかをした時、娘のピンチとみてか、義父はすぐに駆けつけ、珍しく説教をかましてきた。
「まあ、いっぱしの君子といわれるような男は物事に動じないし、偉ぶったりもせえへん。娘が可愛いさかい言うんやないけど、その点、君のような人間はすぐ物事に動じ、偉そうにするんや。気いつけや。これは、君を実の息子と思うて言うんてんのや。まあ、ええがな。仲良うやってんか」
この時は「義父もたまには良いこと言うものだ!」と見直した。後日このことを友人に話したら「馬っ鹿じゃねえの。それって孔子の言葉だよ」と笑われた。友人も、義父の真似をして変なアクセントで「まあ、ええがな」と言った。
義父はこうも言っていた。
「わしも人のことを言えた義理やない、ほんで、まあええがな、や」
私も幅が広く、奥も深い「まあ、ええがな」を処世に生かしているつもりだが、なかなか難しい。
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
*フォト ▽赤い薔薇の花言葉は「あなたを愛しています」
*俳句巡礼 鬼やんまとんぼ返りをして去りぬ(田代 青山)
季語は「やんま」で秋。大型蜻蛉(とんぼ)。鬼やんまは環境破壊であまり見かけなくなった。トンボがトンボ返りをする。人生にもある。
【田代青山=たしろ・せいざん】大阪市生まれ、同志社大学経済学部卒、中島双風、矢島渚男に師事、「星だより」創刊主宰、1949年(昭和24年)〜。
【俳句手控え】春夏秋冬の四季、それを二十四等分した二十四節気。俳句には二十四節気それぞれに季語がある。直近では九月七日が「白露」だった。野草に白露が宿る。朝夕に秋気が加わる。