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総選挙接近、批判的な棄権、実は白紙委任と同じこと?投票で日本復活〜*落書きnote
こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
九月スタート。暑い、暑いと言っているが、もう法師蝉が鳴いている。
「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」
いいなぁ、新涼の季節を感じる。
何か永田町が騒がしくなってきた。難しいことはわからないけれど、ザワザワ騒がしい。
マスコミは、自民党総裁選(9月17日告示、同29日投開票)のあと、衆院総選挙が10月5日公示、17日投開票が有力という情報を流している。
誰が勝とうが、負けようが、もう「不良在庫品一掃選挙」でもやって、救国のこころざしがある、真っ当な政治家が選ばれるよう祈るしかない。
それにしてもこのところ、投票率が低いねえ。私は毎回行っている。
平成29年10月の衆院総選挙が53・68%、令和元年7月の参院選が48・8%と低調そのもの。国政や地方選を問わず、有権者の半分が棄権してしまっている勘定だ。
こんなことで良いのか?良くないと思うんだけど。
棄権には、無関心やあきらめで投票に行かない狭義の棄権と、投票には行っても「意中の候補者がいない」などという理由で、白票を投じたり、おふざけ投票など無効票を投じる広義の棄権がある。
日本では、棄権が多数でも、定数内で得票が多い順に当選し、当選者に権力を委託することから、棄権は「白紙委任」になる理屈じゃないだろうか。
「白票の心理」はさまざまで①良い候補がいない②抗議の意味で③白紙委任④記入をまちがえた—など色々。
白票は選挙権の行使ともみえるが、無効になるのは勿論、最有力候補に投票することと同じ作用効果があるといわれる。
最有力候補は組織票、知名度に乗っかかる場合が多く、無党派票や浮動票が対立候補に流れない限り当選してしまう。
最近では「戦略的投票」という言葉が登場している。最有力候補者以外の候補者を選んで投票することで民意を反映させ、反対票を当選者に対して可視化するという戦略だ。
そうすることで最有力候補に批判票が集まり、当選した候補者の緊張感が高まるという効果が期待できるというものだ。
棄権者には「どうせ投票しても結果は同じ」という風潮があるが、投票した候補者が落選しても「批判票」という形で表れる。
孫や子のことを思うなら、日本復活へ、棄権は危険と思うが。
諸賢はどう思われるか?
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
*フォト ▽夜中の一仕事を終えて漁船は眠る
*俳句巡礼 秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみか(高浜 虚子)
季語は「秋蝉」と「蓑虫」で秋。二重季語だが、虚子は、鳴いて滅びる秋蝉も、鳴かぬ蓑虫も泣かせている。戦後すぐの句。玉音放送で国民が泣いた。
「蓑虫」と同義の季語は「鬼の子」「親なし子」。「避債虫=ひさいちゅう」という別称もある。借金逃れの虫とは愉快。
【高浜虚子=たかはま・きょし】愛媛県松山市生まれ、正岡子規の二大高弟といえば河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)と虚子、子規の「ホトトギス」を継承、明治・大正・昭和三代にわたり俳壇に君臨、1874年(明治7年)~1959年(昭和34年)
【俳句手控え】「五六本雨月の傘の用意あり」(日野草城)というのは数字の上手い使い方だ。具体的にパッと情景をつかめる。数字を使うというのは俳句技法の一つである。