アナログとデジタル〜*落書きnote
こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
おいら、もう数えで傘寿だよ。よくもまあ、生きたものだ。老いぼれて、どっこい生きていると、もう開き直っちゃっている?
このnote、おいらのような年寄りは絶対少数、若い人が多いようで、色々新鮮な刺激を受けている。だから書くより、読ませてもらう方が多い。
近ごろのSNSには、匿名の陰に隠れたラジカルな誹謗中傷の書き込みがめだつ。それが言論の自由だなんて、とても賛成できない。
その点noteの投稿には練達のエッセイ、渾身の創作、起業の熱意、目標への情熱をうかがわせるものが多い。
難しいヨコモジが出てくる専門的な分野の投稿でも、おいらの頭のサビを落としてくれるようなものがある。
最近つくづく思う。おいらは時代錯誤の人間だってね。痛感するよ、自己矛盾が服を着て歩いているようなものだ。
並みの神経なら自己嫌悪に陥るところだけれど、おいらは自分の無知を棚に上げ、鈍いのと厚かましいのと、その両方が大手を振って歩いているようなものさ。この歳になって最近ようやく、そのことに気づいた。
気づきというのは幾つになっても大切と思うが、まあ振り返れば、内心忸怩たるものがある。
やっぱりジェネレーションギャップがあるのかねえ。相互理解が理想なのかもしれないが現実は違う。
そりゃあ育ってきた時代が違うんだもの、違うのが当たり前だ。おいらは原始的な?アナログで育ってるんだ。今の若い人はデジタルだ。子供たちは生まれつきITっ子だしさあ。
デジタルだ、ITだとおいらに言われても、まるで英語を聞くようなものだ。
わかんないからその都度、娘に聞くんだけど、その意味がまたわかんないので、こりゃ駄目だな。
かつては「ジャパンアズナンバーワン」という、くすぐったいような先進国イメージがあった。
しかし、今や「G7中の劣等国」に転落しつつある。一例が相対的貧困率。2018年は世界ランク13位と高率で、社会の分断、格差の広がりという厄介な問題を引き起こしている。
大げさに言えば相対的貧困率の高さが、国際社会における日本の国力にストレートに影響しているようだ。これが実態じゃねえか?
総選挙たけなわだが、政治家先生もそのことに気づいてもらいたいものだ。そうすりゃ国民の給料だって上がる?
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
*フォト ▽てふてふの羽休め!
*俳句巡礼 粟の穂や一友富みて遠ざかる(能村 登四郎)
季語は「粟=あわ」で秋。「五穀豊穣」という。五穀とは稲、粟、麦、黍(きび)、稗(ひえ)。 親しい友が社会的な成功の道を歩く。作者はその友に複雑な感情を抱いている?
【能村登四郎=のむら・としろう】は東京生まれ、水原秋桜子に師事、「馬酔木」同人、「沖」主宰、1911年(明治44年)~2001年(平成13年)
【俳句手控え】三月の甘納豆のうふふふふ(坪内 稔典)。写生句とも滑稽句とも取れる。
笑っているのは女性?男性?お年寄り?子供?それをあれこれ想像するだけでも楽しい。俳句は決して難しいものではない。
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