祈りの変化〜*落書きnote
こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
あなたは何のために祈るのだろう?家内安全?病気平癒?くじ運?まあ、祈りのスタイルは色々だ。
グダグダ書くのは女々しいが、病気で何度も死に損なった?いや、九死に一生を得たおいらが、自然な心の動きとして湧いてきたのが「祈り」だ。
波乱万丈とまではいかないにしても、山あり谷あり、色々あった来し方。人は大病を繰り返すと、神仏にすがる。
医学だけでは解決しない、病気と人生に向き合う力を、神仏が与えてくれると信じるからだ。
おいらはコロナ前の二十数年間、古刹詣でを欠かさなかった。平成五年から、毎月欠かさず参ってきた。
この寺へ参るようになったのは、病気に倒れた私の平癒を、義姉が願かけしてくれたのがきっかけだ。
五十歳で最初の脳内出血にやられたが、退院した翌年から、私自身が月参りするようになった。
初めの頃は、叶わぬときの神頼みで、ひたすら自分の健康回復、家族や知人の健康を「祈願」した。
だが、その次の心筋梗塞で助かった頃から、祈り方が変わった。
「ナニナニをお願いします」から「今月はナニナニを致しました」と奉告するようになった。奉告は良いことより「今月はかくかくしかじか、こういうイケナイことをやってどうもすいません」と詫びることのほうが多かった。
最初の病気から数年、三度目の大病とでもいうべき脳梗塞に見舞われて、また死にかかった。
「もはや、これまで」という思いもあったが、運良く助けられて、寺へお礼参りに参上した頃から、また祈りのスタイルが変わった。
もう何も願わない。奉告もしない。ただ無心に頭を下げるだけ。祈りのスタイルが変わったといいながら、祈るという意識もない。
心を空っぽにして、ただひたすらという気持で頭を垂れるだけ。
実はこれが一番難しかった。ただ無心に、といいながら余念、雑念が入る。
無心に頭を下げる。この難しい「祈り方」は、寺へ参れば参るほど難しくなり、未だに難しい。
難しいまま、最近、少し気づいたことがある。
それは、自分の意識にあるものには感謝したり謝罪したりするが、意識にないもの、つまり気づかないことに対する感謝、謝罪の気持が欠落していることだった。
おいらは多くの人と関わり、恩を受け、また迷惑もかけている。
目に見えぬ、あるいは意識したこともない多くの人々から受けた恩や寛容に気づかず、場合によって、それらの人を傷つけたかもしれないことにも気づかないというのは、畏れ多いことだ。
「無心(空=くう)は限りなく使うことができる。いくら注いでも、なお受け入れ、何をとりだしても、なお出てくる。無心は、そういう不思議な淵だ」と良寛さんは言った。それをめざしたいが。
神仏の前でミソギが許されるなら、目に見えぬものへの感謝と謝罪と畏怖の心を養う力を与えてほしいものである。
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
*フォト ▽朱と緑の競艶
*俳句巡礼 行きあたる谷のとまりや散る紅葉(森川許六)
ちょっと気が早いが、季語は「散る紅葉」で冬。咲いても、枯れても、日本の四季には変化の美がある。散り際の美学という言葉さえある。許六は、そこに心を寄せている。
【森川許六=もりかわ・きょりく】近江国(滋賀県)彦根生まれ、彦根藩士、江戸中期の俳人、蕉門十哲(芭蕉の著名な弟子)の一人、1656年(明歴2年)~1715年(正徳5年)
【俳句手控え】俳句は推敲すればするほど良い作品になる。
俳聖といわれた芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蟬の声」は、最初「山寺や石にしみつく蟬の声」だったが、推敲の結果「さびしさや岩にしみ込む蟬の声」になり、更に「閑さや岩にしみ入る蟬の声」になったという。
五七五の短詩文学は、練りに練った言葉の結実でありたい。