承認する
〈この記事は2020年12月に会員の皆さんに向けて書いたものです〉
「承認する」
2020年最後の月となりました。本当に特別な一年になりました。色々とご苦労をされた方も多かったことでしょうね。みなさんはいかがでしたか?大変なことも多かったですが、逆にこれだけのことがあってもここまではやれるのだな、と分かった年でもありました。私としては、新しい希望も見えてきたと思っています。
8月から始めた「出来たノート」、全ての教室のこどもクラスの皆さんに行き渡りました。毎週「返事・挨拶・くつ並べ」の出来た分だけシールを貼り、その日の出来たことを書いてもらっています。
私はそれを持ち帰り、翌週までにコメントを書いて戻します。批評や否定、評価をするのではなく、基本的に「出来た」ことを承認します。
稽古中に氣づいた、その子の良かったことなどもなるべく書いています。例えば、積極的に手を挙げて読み上げをしてくれたとか、小さい子に進んで指導してくれたとか、シールの片付けを手伝ってくれたとか。技などがうまく出来ない時も、姿勢は良く出来ていた、とか、前回より良くなった、とか。
更に、その日の稽古の意味や一歩進んだ目標など、その子の状況に応じて、色々書き込んでいます。そのため、とても長くなってしまい、こども達が読んでくれているかが、若干氣がかりだったりもします。。
特に小さいお子さんは、読みきれない量の時もあります。お家に持ち帰った時は、よかったら、かいつまんで話してあげていただけると嬉しいです。
このノートの一番の狙いは、こども達に自信を持って欲しい、ということです。だから書くときに、こども達に私が伝えているのは、「今日出来たことを書こう」です。しかし、こども達の中には、その日の反省点・改善点、それから次回の目標まで書いてくる子がいます。こちらからは一切オーダーしていないのに、です。想像するに、学校でさせられる「振り返り」の中では、そういうフォームに従って考えているのだと思います。これは、「何が出来なかったか」を探すやり方です。言葉を選ばずに言えば「アラ探し」です。
これが習慣化している、ということは、マイナスな情報に積極的に目を向けることを、学校という毎日通う場所で習慣化させられている、ということ。それによって、どのような人間性が育まれるのか、考えてみてください。どう思いますか?
自己肯定感、即ち「根拠のない自信」の大切さについては、10月号の悠悠合氣道通信で書きました。何に挑む場合でもまず、「出来る」という前提で物を考える、「根拠のない自信」を持っていると、すぐに正解がみつからなくても、粘り強く問題に向き合い続けることが出来ます。
しかし、それがない状態で、自分の中に何か間違いがある、という思考になった時、前に向かって進んでいくことが出来るでしょうか?
そういう意味で、まず第一に、何があってもブレずに自分を信じ続けることの出来るメンタリティ、これを我が教室の会員の皆さんには、獲得していただきたいと思って、この「出来たノート」に取り組んでいます。特にこどもクラスの保護者の皆さんには、ご理解とご協力をいただきたいと思っています。
一方でこのノートを始めたことで、大きな変化が生まれてきました。それは、他でもない、私自身の心の状態です。
合氣道教室にお子さんを通わせる時、親としてはどんな期待をするでしょうか?姿勢が良くなる、礼儀正しくなる、体力がつく、護身術が身につく、強い子になる、運動神経が良くなる…等々…
私はそういう期待を感じて、稽古中の短い時間ではありますが、お子さんをお預かりします。そうなると、こども達を少しでも、その理想とされている状態に近づけたいと思って、「こども達を変えよう」としてしまいます。これは大きな誤ちです。
そもそも、我々には他人(相手)を変えることは出来ません。変えることが出来るのは、自分自身だけ。合氣道の技の中でも、相手のことだけを変えようとしたり、相手だけを動かそうとしたりすると、相手とぶつかってしまってうまくいきません。しかし、ことこども相手となると、自分がしつけしてやろう、とか、自分が教えてあげようとして、こどものことを変えられると思い込んでいます。そういう想いでこどもと接すると、敏感に察知するこども達により粉砕され、地獄を見ます。かつてのこどもクラスの指導で、私がしていたのはコレでした。全然イケてないクラスでした。
自分の思うように相手を変えたい。そう思うと、相手の変えるべき点、つまり欠点ばかりが目につきます。正に「アラ探し」です。いつも言うことですが、人間は自分の見たいように物事を見ています。マイナスを探せば、マイナスばかりが目につくのは当たり前です。
マイナスを指摘されて、良い氣持ちになる人は普通はいません。嫌な氣持ちにさせられる相手から、何かを教わりたいとは思えませんよね。結果として、私の伝えたいことはこども達に一向に伝わらず、学級崩壊のようなこどもクラスが出来上がりました。
「出来たノート」でしていることは、この正反対のことです。こども達自身だけでなく、承認のコメントだけを書くと決めた私の中で、イケてなかった頃の正反対の現象が起こりました。「承認」を前提としてこども達を見ると、承認ポイントを探そうとする心のスイッチが入ります。ダメなところを探している時と違って、承認ポイントを探して見ていると、こども達の素晴らしいところばかりに目が行きます。正直、今まで氣づいていなかったような、その子の性質がいろいろと見えてきました。また、ノートのコメントの中にも、こども達の考えていることが少しずつ表れていて、それに答えたりするうちに、話すのとは別のコミュニケーションも生まれているように感じます。
私のコメントを読んでくれている子の中には、すぐにそれが行動に表れる子もいます。徐々に変わってくる子もいます。それを感じられると、こちらとしても「伝わっているのだな」と、精神衛生上とても良い状態が続いております。
心身統一合氣道の五原則、別名「人を導く五原則」の一番目、人を導くためにまず一番最初に必要なことは、「一、氣が出ている」、つまり「相手と氣がかよっていること」です。これを一般的な言葉づかいになおすと、「信頼関係の構築」。「アラ探し」をするよりも、相手を「承認」することは、人を導く時の土台となる「氣がかよっている」状態を作るために、有力な手段なのではないでしょうか。
「根拠のない自信」を育てるため、そして「氣がかよっている状態」(信頼関係)を構築するために、「承認すること」を意識してみませんか。
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