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国民的見逃し

 日本はこんな国だったのか。そう思い知る。
 性別が男であること。それがこの上なく恥ずかしい。歳を重ねて、社会を知って、過去を振り返る。

 自分は、性加害者だった。

 児童虐待の四分類。暴力的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト。その中で性的虐待は、最も罪深いとされる。それは、過失では起こり得ないから。性的虐待には、必ず悪意がある。

 しかし、性加害となると、話は変わってくるらしい。男が作った社会、男が作った国を、男が動かしている。女性蔑視という言葉では片付けられない程の、女性の人格を無視した文化の積み重ね。その中で育ち、自らの性加害を自覚すらできない男たちの存在が、現代になって明らかになろうとしている。

「そんなのは、一部の特殊な男の話でしょ」

 多くの男がそう思いながら、自分もその渦中にいる。ここで語られるのは、そんなお話。

 この場所が生まれるキッカケのひとつなったのが、令和6年8月31日から9月1日にかけて放送された『24時間テレビ』だ。事件が起きたのは、女芸人やす子が長距離マラソンに挑み、クライマックスを迎えようとしているところだった。沿道にいた男が突然手を伸ばし、やす子の胸を触ったのである。一瞬の出来事で、ガードランナーの制止は間に合わなかった。

 それが公共の放送で流れただけでも大変な事だが、私が驚いたのは、その後。

 誰も加害男性を捕まえようとせず、結果、男性は野放しとなった。その瞬間の動画は、加害男性の顔がハッキリと分かる状態で瞬く間にネット上で拡散した。にも関わらず、本日、9月19日の時点で、加害男性が捕まったという報道はない。

 このような事態の停滞により、世論の舞台はSNSへと移ることになる。主にX上で炎上が相次いだ。

 とくに目を引いたのが、次のような投稿。

「コレくらいで痴漢って騒がれるなら、冤罪も増えるわけだ」

「女芸人なんだからそのくらいは覚悟しろよ」

 驚くべきことに、加害男性を擁護する投稿が数多く存在していたのである。

 性加害があったかどうかは、程度に関わらず0か1だと私は考える。そこに中間はない。触られたのが誰であろうと、触ったのが一瞬であろうと、性加害が行われたのは事実だ。

 日本は性犯罪の少ない国として知られる。その正体が今回の事件だけでも読み取れる。自分が性加害者であると自認できない男、目撃したとしても性加害だと理解できない男、性加害者を裁こうとしない社会、糾弾する女性を封殺する風潮。

 ここに日本の未来を見るとして、何を期待すればイイのか、私には分からない。


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