コロナ下の出産風景4

   日記より26-24「コロナ下の出産風景4」      H夕闇
                 二月十三日(月曜日)雨
 終日、外へ出ず。居間の石油ストーブに当たり乍(なが)ら食卓の脇(わき)で(後に炬燵(こたつ)で)日記に手を入れる。
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                 二月十四日(火曜日)曇り後に雪
 先日かぜ薬を呑(の)んで胃腸の調子を崩(くず)した家内が、里帰りまでには何としても治らなければ、と気を揉(も)んだが、(やや回復したか、)自転車で量販店Kへ。台所の流し台の前とPC机の下に、敷き物(カーペット)を買って来た。
 浴室掃除(そうじ)用長靴(ブーツ)が水漏(も)れして、久しい。僕は昨夕Sドラッグへ、きょう昼からも数軒を探すが、思わしい物が見付からない。帰路は雪が降り始め、山影など白く霞(かす)んだ土手道を歩いて帰ると、郵便受けに小包み。
 ブランデーとウイスキー入りのチョコだった。末娘YへのEメール礼状に「二種類を交互に一個ずつ食べれば、一週間が保(も)つ。でも、横取りされるかな。」と書き送った。
 病室の姉娘Kからは「今年は遅れバレンタインを計画中!孫娘からもらってね(笑)」と送られて来た。
「拝復 随分と以前に、茉奈(まな)+佳奈(かな)が演じた双生児の姉妹のNHK朝ドラ『だんだん』が有った。その主題歌Miyabi作詞『いのちの歌』を後にKからCDで聞かされたことを覚えている。
   産まれて来たこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと
   その全てに「ありがとう」 この命に「ありがとう」
あれは、僕ら夫婦へ感謝を伝えたのだったろう。今度は立ち場が変わり、お前が感謝される側になる。そうして歴史が繋(つな)がって行くのだろう。草々」
「追伸 あの歌詞は良かった。近年に無く良い詩だった。あんな作品を僕も書きたいと思う。
 今とうさんは毎日PCで日記を書いている。言うまでも無く、孫の誕生を祝う文章だ。推敲(すいこう)して、それを孫に残して置きたい。母は余り喜ばなかったけど、その子は果たして、、、、、?」
 Kの一歳の誕生日の頃、僕は将来のK宛(あ)てに手紙を書いた。(産まれた当日、僕も半分は当事者で、そんな時間も心の余裕も無かった。)そして、満二十歳の記念に駅前の(今は閉店した)居酒屋Iへ連れて行って、そこで手渡した。(偶々(たまたま)見付けた日記に、そう記録して有った。)娘は僕が予期した程には喜ばなかったように記憶するが、孫の場合いは一体(いったい)どうだろう。
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                 二月十五日(水曜日)雪
 やっと残雪が消えた、と思ったら、夕べから又もや雪降り。でも、けさは雪掻(か)きする程でもなかった。
 年金を受け取りに歩く。偶数月の中日いつも長蛇の列になる銀行が、きょうは案外に透(す)いている。
 帰路にN公園を通ったが、運動器具は雪が少し積もっているだろうから、素通りして帰る。白鳥は見ず。
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                 二月十六日(木曜日)晴れ
 先週十日の大雪は翌日の雪晴れ等で急激に融(と)け、殆(ほとん)ど泥(どろ)んこ道になった。それが、昨夜は又ウッスラと積雪。大した量でなくて良かったが、それでも自転車に乗るのはハラハラびくびく。
 週に一回のテント八百屋(やおや)までは遠いので、自転車を使いたい。その上、段ボール箱一つになる荷物を持ち帰るにも、手で抱(かか)えては無理だ。とは言え、間も無く里帰りして来る娘に是非くだものなど食べさせたい。食べれば、乳の出も良いだろう。そう考えて、雪道を自転車でユックリ恐る恐る走った。
 昼下がりに連絡が有り、きょう娘は退院した。但し、一人きりの残念な退院だ。いや、年次休暇中の婿(むこ)殿に車で迎えられたのだから、一人きりと云(い)うのも妙だが、産婦が退院して、乳児は病院に残るのである。
 子の方は(未熟児の域でも保育器に入れられる程でもないものの、)やや体重が足りず、もう暫(しば)らく経過観察とて病院お預かり。母親も退院を延長して(乳児の発育を待ち、)一緒(いっしょ)に退院したい、と要望したが、(もし空きが有ればOK、との話しだったが、)次ぎに出産予定の人が控(ひか)えている為(ため)、ベッドを開けなければ成(な)らなくなったと言う。それで母と子が引き離され、本日の夕刻に一足先の帰宅とは相(あい)なった。
 親子の別れ、又もや災難。僕の確定申告や雪掻(か)きや雪中行軍など、諸々(もろもろ)の難行(なんぎょう)苦役も、やはり御利益(ごりやく)は無かったらしい。苦しい時だけ神頼み、なんてのは気休めに過ぎぬ。
 孫娘は今どんな所に一人で眠るのか。もしや泣いているのでは、、、母親じゃなくても、胸が痛む。
 これから帰宅し、暫(しば)し夫婦二人で暮らすと言う。その間は、母乳を搾(しぼ)り、それをT君が病院へ届けて、哺乳(ほにゅう)瓶(びん)から我が子に飲ませてもらうそうだ。父の届けた乳が、母と子を繋(つな)ぐ絆(きずな)となるらしい。それを飲んで、体重が増えたら、親子が再会できる。それで漸(ようや)く里帰りになる段取りだ。いやはや、いつになることやら。
 きょうは亡父の隠居(いんきょ)部屋に掘(ほ)り炬燵(ごたつ)を設(しつら)えた。ここへ母子二人を迎える予定である。
 さざんかの紅(くれない)が新雪から覗(のぞ)いて、チョッと良い。その庭に面した窓辺で(日射しの有る日など)僕は本を読むのが好きだ。炬燵自体は永らく使わなかったから、じいさんとばあさんで大掃除、炬燵ぶとんを新調すべく注文した。あしたは洗濯。それから、ふとんも干さなければ成(な)らない。そろそろ僕らも出陣か、少しずつ大童(おおわらわ)になろう。三人も育てたが、それは昔の話し。急に戻ろうったって、今じゃ身が持たない。
 娘から「名前が決まった」とkが提示され、感想を求められた。孫が産まれたら、先ず性別が最重要事項だが、(だから、僕は当日まで取って置いたのだが、)命名は第二のイベントだ。一時帰宅の後は、会えない夫婦が、自宅と病院の間で何度もEネット意見交換の上だろうから、僕は極力(余程のことが無い限り)異議など控(ひか)えよう。僕が以前から注意しておいた仮名使いは、問題が無いようだ。
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                 二月十七日(金曜日)晴れ
 きのう娘Kは(再会した婿(むこ)殿T君と二人)退院した足で区役所へ向かったもの、と僕は覚悟していた。然(しか)し、それは誤解で、「出生届」の(従って命名kの届けも)提出は未(ま)だだと知った。そろそろ提出期限だろうと僕は心配したが、十四日以内とのこと。有り難いことに、僕の意見も一応(参考に)聞いてから、届け出ると言う。俄然(がぜん)(昨夜とは打って変わって)気を良くした僕は、忌憚(きたん)なく(思う存分)大メールを打った。
 娘は青春の地(沖縄)への思いを籠(こ)めたいらしい。それを婿殿は受け入れた。(この人の寛容さが二年間Kを支えた。)発音の印象も柔らかく、優し気(げ)だ。かくして子の一生の名前が決まった。 (日記より、続く)

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