コロナ下の出産風景1

   日記より26-21「コロナ下の出産風景1」      H夕闇
        二月九日(木曜日)曇り時々小雪+凩(こがらし)
 今年の確定申告は、N氏が十八日(土曜日)に来て手伝ってくれる手筈(てはず)になっていた。然(しか)し、状況が一変。その日を待たずに、僕は一人で申告書の作成作業を始めた。
 重い腰を上げて、自信の無いPC(パソ・コン)に向かい、連日「国税庁ホームページ」を開く。そこの「確定申告書作成コーナー」から入って、それぞれのページで(控除証明書などの記載を参照しつつ)空欄を埋めて行けば良い、と手慣れた人なら簡単(かんたん)に言うだろう。だが、僕のような万年ビギナーは、先ず「国税庁」と云(い)う名称に辿(たど)り着くまでが一苦労なのだ。
 あれ?申告を持って行く所は「税務署」だったよなあ。そう言えば、森友学園問題は「財務省」だった。安倍晋三(しんぞう)元首相(及び妻の昭(あき)恵(え)氏)の立ち場を忖度(そんたく)して公文書の改竄(かいざん)を強要した佐川宣寿(のぶひさ)氏は、「財務省」長官に出世したもの。でも、改竄させられて鬱病(うつびょう)の果てに自死した赤木俊夫(としお)氏は、近畿「財務局」の職員だった。序(ついで)に加計(かけ)学園問題は文科省(文部科学省)で、昔は「大蔵省」なんてのも確か有ったような、、、などと諸々(もろもろ)の役所の名称が脳裏に渦巻(うずま)き、収拾が着かなくなる。かくして、初心者は最初の一歩で早くも躓(つまず)くのである。
 苦心惨憺(さんたん)して国税庁HP(ホーム・ページ)まで行き着けたとしても、IT用語にも僕は不案内だ。インストールするよう指示されても、その意味する所(ところ)が不可解である。ここをクリックしろ、と妻から教わっても、「クリックって何?」「一回おすの?二回(ダブル)?」質問の回を重ねるに従って、互いに語気が荒くなる。基本的な事柄まで一々問われる家内も迷惑だろうが、問う方だって実に困ってるのである。
 糅(か)てて加えて、(年始に届いた郵便物(ダイレクト・メール)の山から関連書類と思(おぼ)しき物を選(え)り分けられたとしても、)どの欄が該当する数値なのか、対応関係がチンプンカンプン、曖昧(あいまい)にして模糊(もこ)。膨大な数字が無機質に羅列(られつ)された一覧表とPC画面の貪欲(どんよく)で執拗(しつよう)な要求とを見比べて、僕はヘトヘトに疲労し困憊(こんぱい)する。
 それでも、N氏の支援の予約を待たずに(無謀にも!)単独で確定申告に挑(いど)んだのには、訳が有る。

 長女Kから連絡が入り、出産が予定より早まったそうだ。十八日には、身二つになった母と子が既に里帰りしているかも知(し)れない。微妙なタイミングである。もし来ていれば、N氏と落ち着いてPCの前に座るなんて悠長(ゆうちょう)なことは、最早(もはや)望むべくも無い。オギャーの一声で(産後の母親は安静第一、)じいさん&ばあさんが総動員されるに違い無い。
初めは今月の下旬と誕生時期が予測されたが、胎児は逆子で、然(しか)も母体の血圧が高い。そこで、事前に入院治療して体調を整えることと、然(しか)る後(のち)に早目の帝王切開を、医師から勧められたのである。一難が去って、又も一難。泣(な)きっ面(つら)に蜂(はち)。どうして⁉と(妊婦本人でなくとも、)災難の連続に抗議したくなる。
 授かった命を立て続けの流産、本人は相当に傷付いた様子だ。だが、(今だから言うが、)僕ら両親だって、何と言ってやったら良いか、ほとほと困り果てたのだ。
 と言うのも、僕らには出産で悩んだ経験が(陣痛その物を除いて)殆(ほとん)ど無いのである。長女を妊娠中にチョッと切迫流産を体験したが、妻Mは暫(しば)しの入院でケロッと回復、深刻な事態には至らなかった。
 二番目mは逆子だったが、自宅で破水して産院へ駆け付け、一時間程で無事に安産した。
 末っ子Yに至っては、医師が分娩室(ぶんべんしつ)へ現れる前に、サッサと産まれてしまった。同じ医院で第二子の出産に立ち合った経験の有る僕が、新米(しんまい)の助産婦とアルバイトの看護婦を指揮号令して、見事(みごと)に産ませたのである。いきんだり、休んだり、出たら受け止め、時刻を記録する。只それだけ、文字通りの自然分娩だった。
 事(こと)程(ほど)さように、我が家は(子宝に関する限り)実に恵まれた。そのことが、今にして思い至る。
 それに対して、長女Kの場合い、苦戦が連く。昨夏やっと安定期に入ってホッとした筈(はず)が、正月にはコロナ感染、ホテル療養となった。逆子を治す為(ため)の整体治療へも通院できなくなった。療養施設からは五日間で帰宅できたが、間も無く高血圧の治療で急遽(きゅうきょ)入院。この侭(まま)で出産へ突入か、と思いきや、十日程で一時退院、と二転三転した。沖縄移住の四年間を殆(ほとん)ど医者要(い)らずで通したのに、昨今は度々(たびたび)の入退院。両親として、婿(むこ)殿(どの)のT君に申し訳が無い思いだ。   二年間も妻を支えた苦労は、並み大抵ではなかった筈だ。
 きのう再入院時の検査の結果、やはり逆子の侭(まま)だった。そうした紆余曲折(うよきょくせつ)の末、漸(ようや)く迎えた本日である。

 けさ最終判断で夕方三時半から様子を見て帝王出産、との連絡。要するに、他の幾(いく)つかの手術の進行状況に依(よ)って、その合い間に(片手間に)チャチャッとやるらしい。大きな病院なら、帝王切開なんて、有り来たりな日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)に過ぎないのだろう。だが、僕ら白(しろ)う人(と)から見れば、腹を切り裂く以上、即ち切腹と同様の行為に思われる。増(ま)してや産まれて初めて出産を体験する娘にしたら、見慣れぬ環境で、殆(ほとん)ど初対面の人たちに囲まれ、見知らぬ出来事に次ぎ次ぎと襲われる。命懸(いのちが)けの大仕事だ。きっと不安で一杯(いっぱい)だろう。
 その上に、社会は今パンデミック、新型コロナ・ウイルス感染症が三年間も蔓延(まんえん)中だ。第八波が正月明けから収束へ向かいつつ有るが、どこの病院も集団感染(クラスター)予防の厳戒態勢に有り、当院では面会厳禁。産婦の夫さえ例外ではない。新生児の祖父母など、言うに及ばない。確かに病院スタッフは万全の態勢でケアに臨んでくれるに相違ないが、そこはそれ他人様、ひどい孤独感の中で妊婦は産まねば成(な)らないだろう。
 夫の立ち合い分娩などは望めないにしても、せめて廊下に家族が控(ひか)えていたら、又は分娩室へ入る前にガラス越しにでも近親者の顔が見られたら、チッとは心強いのではあるまいか。それが、親族縁者の一切(いっさい)が玄関から締め出されて、面会謝絶とは。品物の受け渡しさえ人を介し、時間も制限されると言う。
 僕の娘Kが我が子を迎えるに当たって一体(いったい)どれ程の困難に立ち向かったか、どんな苦労に堪えたかを、いつか遠い将来、そうして迎えられた子に教えてやりたい。勿論(もちろん)、歓迎したのは母親だけではない。父親の他、祖父母や叔父叔母たちも大いに感激して迎え入れた。
 その事実を伝える際、この日記の記録が役に立つなら、祖父として望外の仕合(しあ)わせである。口頭で語り聞かせることも出来(でき)ようが、果たして旨(うま)く話せるか、自信が無い。意に沿わないことだって有るだろうし、第一それまで僕が生きているか否(いな)か、保障の限りではない。
 孫が軈(やが)て成長し、不可避的に訪れる思春期と云(い)う苦難の季節に、自分の命が皆から祝福して受け入れられた事実を知ることは、きっと無意味ではないだろう。(中断)            (日記より、続く)

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