いとこ
日記より28-19「いとこ」 H夕闇
一月十四日(火曜日)雪晴れ
この年末年始は曜日の並び具合いが良く、勤め人に依(よ)っては、令和六年師走(しわす)二十八日㈯から翌正月五日㈰まで九連休に恵まれた。(むすこは別の事情に振り回されて、恵まれなかったけれども。)
お負けに、休み明け六日㈪から五日間を何とか凌(しの)げば、十一日㈯から十三日(㈪=成人の日)まで三連休。僕も覚えが有るが、年度替わりや更に転勤の多忙を四月初めに辛(かろ)うじて乗り越えると、ゴールデン・ウイークが待っている、といった新年度も同様だが、日本のサラリー・マンには大変に有り難い巡(めぐ)り合わせである。
尤(もっと)も、帰省する子らを迎える実家では、自(おの)ずと立ち場と事情が逆転する。孫は二度うれしい、と言う。再会の喜びは言うまでも無いが、正月明けに皆が引き上げた後ホッとするのも又(コッソリと)真実である。
我が家でも、早目のクリスマス以来この一箇月、子供たちが連れ合いや孫を同伴して、入れ替わり立ち代わり八人が去来した。(延べ人数ではなく、実数である。)諸般の事情から、ホテルに泊まって四日間この屋へ通った婿(むこ)殿(どの)も居(い)たが、それ丈(だけ)の多人数が一度に宿泊できる程の部屋数は我が家に無い。その限られた空室へ(ふとん干しも含めて、あちらこちらに分散した押し入れから、階段を上がり下りして)寝具を運ぶのは、老体には中々(なかなか)に重労働である。帰って行った後の洗濯など、片付けも少々厳しい。
手伝うと言われたって、常時ここに住んでいても、どこに何が有るか、全て把握している訳ではなく、いざ寝る段になって慌(あわ)てたり困ったりしないよう、予(あらかじ)め少しずつ(ふと夜に思い付いた朝毎(ごと)に)段々と進めるのである。段取りも計画性も有ったものではない。従って、本当に手伝うのなら、何日も前から御宿泊を願わねば成(な)らぬ。却(かえ)って泊数が増え、自家(じか)撞着(どうちゃく)となる。
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然(しか)し、そんな骨折りにも代え難(がた)い楽しみは、確かに有った。孫と同衾(どうきん)できたのである。(ふとんを共にした、という文字通りの意。)
歳末に娘が娘を連れて(夫の忘年会に合わせて)二泊。一晩を泊まった翌朝だったか、幼児が起き出せばオチオチ落ち着いて朝食が出来(でき)まい、と言うので、老夫婦は先に食べてしまい、続いて娘が食べる間、(馴染(なじ)みの無い部屋で孫が目を覚ませば、一人で泣くことになるから、)僕が見張り番を引き受けた。寒い寝室で突(つ)っ立(た)っているのも何だから、僕は娘の抜け出した寝床へ潜(もぐ)り込(こ)んだ。傍(かたわ)らで、孫は未だ小さな寝息を立てる。
幼い子の体温がヌクヌク伝わって、何とも言えず温(あたた)かい。エア・コンや電気毛布(もうふ)の直截(ちょくさい)な熱とは違って、仄(ほの)かに温(ぬく)い。タオルケットや毛布を掛(か)けているのに、それらを全て通して、僕の掌(てのひら)に伝わって来る微温。ホンワカと緩やかに(けれども芯(しん)から)温(ぬく)まる温感。その柔らかい手触りが、不思議と今も記憶に残る。
それは子育てした時期の体感に繋(つな)がる。妻が病臥した時など、ぐずる幼児を背に負って寝かし付けた、その背中の温もりが遠く思い出されるのだ。
それが懐かしくて、実は以前にも初孫へ是非(ぜひ)これを願ったことが有る。この孫より一回り大きくなった年頃だった。自我が芽生え、口も達者(たっしゃ)で、「お昼寝、嫌い!」と無下(むげ)に断られた。初めての孫にピシャリ拒(こば)まれたのが、妙に無念で成(な)らなかった。この度(たび)は別の孫で望みが叶(かな)った次第(しだい)である。
今回の成就(じょうじゅ)した孫は僕の娘の子で、前回の惨敗(ざんぱい)は僕の伜(せがれ)の方の長女であった。既に中学生で、最早(もはや)ジージと添い寝など生涯に亘(わた)って叶(かな)う筈(はず)が無い。大きくなったら、二人で旅をしよう、と指切りしたが、果たして覚えているだろうか。ピンク色のブップを運転してジージを乗せてくれる、と約束したが。
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その孫の妹が、娘の子(いとこ)と親しくなった。家では末っ子で、我(わ)が侭(まま)を一杯(いっぱい)に暮らし、ジージ&バーバの実家へ来てもチヤホヤされて、拗(す)ねたり嫉(そね)んだり。それが年下いとこと一緒(いっしょ)だと、大層おねえちゃん振(ぶ)って、遊び相手を引き受ける。その変わり様が、(端(はた)で見ていて、)こそばゆい位(くらい)おかしい。
幼い子の機嫌(きげん)を取り乍(なが)ら、じょうずに導(みちび)き、あやす。その変貌ぶり、本人は気(き)恥(は)ずかしくないのだろうか。あやされた方も、大きな目を三日月の形に細めて、ケタけた笑う。然(しか)も、最近まで自(みずか)ら幼かった(いや、現在も幼い)分だけ相手の幼い胸中が察しられるのか、誘導の仕方が堂(どう)に入(い)って、実に巧みである。普段そんなこと全然しない癖(くせ)に、相手の立ち場になって物を見、考える。そして、噛(か)んで含(ふく)めるように、教え諭(さと)す。そこに何やら人の成長の秘密が隠されているように思われる。
食事の際には、いつも好き嫌いが多く、ノタラくたら食べるのに、今や幼子(おさなご)の隣席に陣(じん)を取って(人に席を譲らず)小さなスプーンを口元へ運んでやる。世話(せわ)を焼かれる方も、チューリップの蕾(つぼみ)みたいな口を(まるで親鳥を迎えた雛(ひな)のように)最大限に大きく力一杯(いっぱい)に開けてパクリ。アーン、ぱくり、モグモグ。
いとこ二人の頗(すこぶ)る生(き)まじめな面持(おもも)ちや乙名(おとな)びた仕草(しぐさ)が、大層おかしく、我慢(がまん)できずに破顔してしまう。すると、どうして笑われるのか、本人たちは怪訝(けげん)な顔。それが又もや愉快なのである。
生きた人形を得た少女のように、いとこ同士が実の姉と妹のように、溌剌(はつらつ)と睦(むつ)み合う光景を家の中で散見するのは、年末年始らしい慶賀である。
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一週間を働いて、その後きのうまでが(世間では)三連休。その初日の夕方、もう誰も来ないらしいと気の緩んだ僕らを、むすこ親子が突然に襲った。然(しか)も、急な電話で、二連泊の申し込み。もう食糧は無いから、夕食は外で済ませて来ること、翌朝の食材を買って来ることを条件に、逗留を許可。だが、電話を切った後に改めて考えてみると、三連休の二日目が伜(せがれ)は日曜出勤と言うから、その日は孫を朝から一日中(父親が仕事を終えて戻って来るまで)預かることになる。すわ!一大事。今更(いまさら)気が付いても、後の祭りだが。
この孫、いとこの「おねえちゃん」としての振る舞い時間は実に乙名(おとな)しく、一人前に役立つのだが、一度(ひとたび)いとこが不在となれば、直ちに末っ子へ豹変して、我(わ)が侭(まま)放題(ほうだい)。その上、エネルギーが有り余っているような元気な子である。ジージ&バーバが二人係りで(又は交代で休憩を取り乍(なが)ら)対応しても、追い付けやしない。
(日記より、続く)
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この芸に於(お)いて、大方(おほかた)七歳を以(も)て初めとす。この頃の能の稽古(けいこ)、必ずその者自然(じねん)と致(いた)すことに得たる風体(ふうてい)あるべし。舞ひ、働きの間、音曲、もしは怒れることなどにてもあれ、ふと出(い)ださん掛(か)かりを、打ち任せて心の侭(まま)にせさすべし。さのみに「善き」「悪(あ)しき」とは、教ふべからず。余りに痛く諫(いさ)むれば、童(わらべ)は気を失ひて、能ものぐさくなり立ちぬれば、軈(やが)て能は止まるなり。
(世阿弥(ぜあみ)「花伝書」(風姿花伝)より)