日記より25-13「孫キャンプ」
日記より25-13「孫キャンプ」 H夕闇
八月三十一日(火曜日)曇り
もう一昨日の早朝の事になるが、ムクッと起きた孫のMが「雨が降ってる。」と呟(つぶや)いた。
テントの支柱に下がったランタンの照明なのか、或(ある)いは既に外は夜が明けたのか、天幕が全体にボンヤリ白んでいた。腕時計を見ると、五時。ちょうど日の出の時刻である。
Mは入り口のチャックを上げて、外へ出る様子。小用に行くのだろう。このキャンプでは、子守りが僕の役所(やくどころ)。テント張りから夕食の支度(したく)まで伜(せがれ)が皆やって、その間ズッと僕は孫と川遊びに興じていた。
いつも滅多(めった)に孫と会えない僕に、むすこは恐らく纏(まと)めて親孝行の積(つ)もりなのだろう。家庭を持って子供が出来れば、一般に(望むと望まざるとに関わらず、)父母の事は二の次ぎになってしまうものだ。僕も両親に不義理した覚えが多々有る。孫と会うのが、親たちには一番の楽しみだったらしいのに。
起き抜けのMが小便に立つなら、付いて行かねば成(な)るまい、と僕も起き出した。そして先ず二人分の両手両足へ虫除けスプレーを散布。仕事で疲れているらしい伜は、全く寝入っている。
しとどに濡(ぬ)れた外張りから雫(しずく)が幾(いく)筋も流れたが、それは夜露で、雨ではなかった。直ぐ傍(かたわ)らを川が流れて、その水音をMは雨降りと勘違(かんちが)いしたのだろう。自動車も水滴を一杯(いっぱい)に弾(はじ)いている。
前夜は(孫が先に寝た後も)親子二人でビールを重ねたが、その時の椅子(いす)も小卓も綺麗(きれい)に片付いている。酔った僕がテントへ入った後、むすこが一人で片付けたのだろう。済まぬことをした。キャンプ場に相客が多いだけでなく、(僕が妻子を連れてテントを張った頃と違って、)ここ数年は猪(いのしし)や熊(くま)など野生動物の出没したニュースが多いから、飲(の)み喰(く)いしたら寝る前に片付ける心懸(こころが)けがキャンパーには必要らしい。
*
道具も一頃とは変わった。我が家の納戸(なんど)の奥には古い切り妻型のテントが残っている筈(はず)だが、あんなの今はやらないそうで、むすこは見向きもしない。新式のを買って、ズッと手軽に張れると言う。
僕らの時代は、重いテントや大きなリュックを担ぎ、三人の子の手も引いて路線バスに乗ったものだ。そんな昔話しをすると、車に荷物を積んでサッと出掛(でか)けられる伜は「よく行ったねえ。」と感心する。
泉ヶ岳の麓(ふもと)、スキー場の下を流れる小川(七北田川の源流)に肉を冷やして置(お)いたら、翌朝は烏(からす)どもに喰(く)い荒らされていたことが有る。他の家族と合同で山小屋(ロッジ)を借りたことも有った。車持ちの友人が乗せてくれて、愛犬を同伴できた時も有ったが、犬を飼ってからは余り行けなくなった。キャンプか犬かの選択で、僕ら家族は末っ子のような愛犬を選んだ。又、子供たちが中学へ進むと、夏休みも部活動。家族それぞれの予定が合わなくなったのも、原因だったか。いずれ僕は残念だった。
だから、今回は久しぶりのキャンプである。往時に比べて、煮炊(にた)きも便利になった。以前は薪(たきぎ)に火を移すだけでも一苦労で、白い煙りに目を瞬(しばたた)き、服も焚き火の匂(にお)いが染み付いた。それが、今日では(むすこを見ていると、)小型ガス・ボンベにカチンと自動点火。ライターさえ不要だった。
伜は物置きから古いカーキ色の飯盒(はんごう)を持ち出していたが、それより使い易(やす)いと言う器(うつわ)をガス・ボンベに架(か)けて飯を炊いた。双眼鏡ケースのような形の飯盒と違って、取っ手の付いた弁当箱みたいに四角かった。炊き上がったら、引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)して暫(しば)し蒸(む)らすのは、昔と変わらない。そこから小分けにして、親子孫の三人で食べた。
火は専(もっぱ)らウインナー・ソーセージをジュージュー焼くのに使った。金属の長い串(くし)に刺し、焙(あぶ)ったソーセージをフーフー吹き、油が滴(したた)った所を、ガブッと行く。学校に上がったばかりのMも、ジージの見よう見まねで(おっかなビックリ)カプッ。焼けた順に盥回(たらいまわ)して、痛快にガブリ。
ザーッと瀬音が床しい。谷風も涼しく、野趣が有る。アフリカ系らしい大人数のグループが、川向こうのキャンプ・ファイヤーを囲んで、民族音楽の太鼓に合わせ、夜遅くまで踊っていた。男の子が一人前の仲間入りをする儀式に、こういうのが有りそうだ。
むすこの作ったライス・カレーを食べたのは、この度(たび)が初めてかも知(し)れない。味は(孫も一緒(いっしょ)だから)甘口だが、そんなことより伜に初めて馳走(ちそう)された事実が(内心)感動的だった。男三代、せせらぎが耳を擽(くすぐ)る山合いで、甘いカレーをビールで食べるのは、頗(すこぶ)る剛毅(ごうき)だった。
嘗(かつ)て似たような場面が有った。親子孫で旅をしたのだ。但し、顔ぶれが少し入れ替わったが。
今はパパと呼ばれる伜が少年だった頃、(無論、孫など未だ居(お)らず、)先ず僕と二人で実家まで十キロ銀輪を連ねた。そこから、今は亡い祖父(僕の父)も合流、松島へ自転車旅行をした。母が死んだ後の夏休みだったと思う。
日の傾き掛けた海岸線を走ると、さざ波がキラキラ輝いた。山道を上るのは骨が折れたが、その分まで峠(とうげ)の景色が素晴らしく、風を切る下り坂は爽快(そうかい)だった。父も元気だった。
実家を出発する時にN先生へ電話を入れると、沿道のマンションの八階ベランダから(白いハンケチならぬ)大きなシーツを振って、無邪気(むじゃき)に声援してくれた。
その晩は、温泉に浸(つ)かった後、三人で碁(ご)を打った。むすこが(子供の癖(くせ)に)強くて意外だったことを、今も覚えている。その子が今は父親になり、僕をオート・キャンプに誘ったのである。
*
宵(よい)の口は薄い雲が掛かっていたが、次第(しだい)に流れ去り、下弦の月も山(やま)の端(は)に沈むと、軈(やが)て無数の星が全天を領した。簡易な折り畳み椅子(いす)だが、深く踏(ふ)ん反(ぞ)り返(かえ)って、ビニールの背板に首を凭(もた)せ、夜空を見上げるのは、(ホロ酔いも手伝って)安楽快適だった。船乗りのN氏は星と星とが繋(つな)がって星座に見えると言ったっけが、僕は全く以(も)って図形にならない。只ひたすら満天に散らばっていた。北極星は言うも愚か、北斗七星も天の川も見付からない。
但し、星の一つ一つが非情に大きく見えた。いつか亡母が夫婦で富士登山して見た星々は「こおんなに大きかった」と両手で示したことを、不意に思い出した。母の愚かな感想を僕は(話し相手のN先生に対して)恥じたものだが、近視眼の僕にも(ボンヤリと乍(なが)ら)小皿程に大きく感じられた。その淡い記憶が突然グッと迫った。ビールで半(なか)ばボヤけた星空が、妙に懐かしい気がした。
多分その後(片付けを皆むすこに任せて)僕はテントに潜(もぐ)り込(こ)んだのだろう。寝相(ねぞう)の悪い小さな拳(こぶし)で顎(あご)をガンと一発やられたことと、冷え込んだ明け方に長袖(ながそで)シャツを着込んだこと、夜通しザーッという清流の音が耳から離れなかったことは、幽(かす)かに覚えている。
* (日記より、続く)
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