日記より25-8「待ち伏せ」
日記より25-8「待ち伏せ」 H夕闇
六月九日(水曜日)晴れ
けさ散歩に通るO夫人を待(ま)ち伏(ぶ)せし、、、などと云(い)ったら、穏やかでないが、僕の場合い、恐妻からの言い付けで待ち受け、ゆすら梅(うめ)で手作りしたシロップ一(ひと)瓶(びん)を差し上げたのである。
妻は昨年来Oさんと筍(たけのこ)掘りで親交を温めた。夫人が収穫物を呉(く)れれば、それを炊(た)き込(こ)んだ筍ご飯を妻が届け、近所の穴場の竹(たけ)藪(やぶ)へ共に掘りに出掛(でか)ける仲となった。
今年も、家内が足を痛めて出歩けなかった先日、O夫人が筍その他(じゃが芋(いも)や玉葱(たまねぎ)など家庭菜園の産物)を届けて呉れたので、その返礼品を手渡せと言う訳である。
ゆすら梅に就(つ)いては、少しく云(い)わくが有る。
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我が家の末っ子R(三人の姉兄に愛玩(あいがん)された愛犬)が享年(きょうねん)十歳で他界したのは、震災前だから、もう十年以上も前の事になる。火葬して、遺骨を庭の片隅(かたすみ)に埋め、印に木を植えた。(期せずして、間も無く人間界で樹木葬というのが流行した。)
偶々(たまたま)Rの死んだのが桜桃忌(おうとうき)(太宰治の命日)だったので、桜桃の木を墓碑として植えようと妻が発案し、家族で一決。その樹種は別名「ゆすら梅」と云うそうだ。
もう人の背丈を越す高さに育ち、桜と同時期に白い小さな花が咲く。それが散ると、軈(やが)て赤い実を着ける。例年それが桜桃忌の頃なのだが、今年は随分と早い。(桜と同じく、開花も記録的に早くて、三月中だった。)
只(ただ)、花は早かったが、いつもより実の成る数が少ない。これから追い追いに増える、というのではあるまい。成るなら、一気に成る筈(はず)だ。
果実には(八百屋(やおや)に依(よ)ると)年毎(ごと)に表と裏が有るそうで、裏年には実の量が少ないのである。そう言えば、去年は豊作。鵯鳥(ひよどり)やら椋鳥(むくどり)やら盛んに集まって、庭が賑やかだった。枇杷(びわ)も同様で、妻が気にして、啄(ついば)みに来る野鳥を追い払い、袋を掛けた。
裏年に当たる今年、ゆすら梅の木(緑の濃くなった葉陰)に赤い点々が少ない。従って、出来上がったシロップも、小瓶一本余りに過ぎなかった。
瓶に入らなかった分は、僕ら夫婦がヨーグルトに混ぜて食べた。さて、この一つだけの瓶詰(びんづ)めを誰に進呈するか。これが問題となった。
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去年は振動や騒音で散々(さんざん)悩まされた隣地に漸(ようや)く住宅が建ち、先日は新しい隣人Aさんが引っ越しの挨拶(あいさつ)に見えた。不快な思いをして建ち上がった隣家だけに、その印象を引(ひ)き摺(ず)るような住人でないことを願ったが、感じの良い奥さんだった。朗(ほが)らか乍(なが)ら、「至らない所が有りましたら、直ぐ改めますから、仰(おっしゃ)って下さい。」と遠慮が深い。「そんなに近隣へ配慮して居(い)たら、周囲から押(お)し潰(つぶ)されてしまうだろうに。」と当方が心配になる程、慎み深い。きっと近所付き合いで苦労した経験が有るのだろう。
小さな女の子も一緒(いっしょ)に顔を出して、母堂が「仕事へ出ている間に地震でも有ったら、と心配で、」と言うから、「そういう時は内(うち)へ、」と引き受けた。
乙名(おとな)しい子だった。僕の孫娘よりチョット年上だ。孫には滅多(めった)に会えないから、代わりに世話が出来(でき)たら、こちらも嬉しい。濃緑の葉の中に鈴蘭(すずらん)の花の純白が際立つ季節だった。
隣りに住んでも顔を合わす機会が無い侭(まま)、十日程が過ぎた。土手の下の花畑に、チラリほらり小さなコスモスが咲き始めた。確か最初は薄いピンクの花、次ぎが白、濃い紅色(べにいろ)のも咲いた。色合いは一人前だが、大概が小振りである。草丈が未だ十センチ余りに過ぎないのに、早くも花を着けた。僕は必ずしも喜ばない。
妙な連想かも知れないが、カースト制下のインドに今も残る幼年婚(又は児童婚)を、僕は思う。アジアやアフリカの貧困家庭の少女が幼くして嫁(とつ)ぐ姿に似て、ひどく気の毒に見える。口減らしの意味が有るらしい。時に人身売買も疑われるそうだ。そして、早咲きの花に限って、花びらの数が(通常は八枚の所を)足りなかったりする。不自然に早い(未熟な侭の)開花が奇形を誘発するのではないか、と僕は想像する。
一体(いったい)コスモスは秋桜と当て字が有る位(くらい)で、秋の花である。一般に夏から随分と咲くが、五月の内に咲き始めるのは余りに早過ぎる。早い個体が散り、遅いのが交代で咲いて、入れ替わり立ち代わり十一月まで咲くのが恒例だから、この分では一年間の半分も花が見られることになる。見る方は大いに歓迎するが、植物自身にとっては決して良いことではあるまい。
一夕あれこれ思い乍ら花壇に水を撒(ま)いたり雑草を除(のぞ)いたりしていると、隣家から例の女の子が出て来て、自宅前で一人ボール遊びを始めた。こちらを意識するらしいのだが、若干(じゃっかん)はにかむらしく、容易に近付いて来ない。「何か困っている事は無いか。」と当方から声を掛けて、会話できた。「何をしているのか。」と問われて、「他の草に栄養を取れないよう、除草してコスモスに応援している。」と僕は説明した。
それから、特別に「秘密基地」へ御案内した。土手の上のベンチの回りと通路の分だけ草を刈ってある。先日そこまで刈った時に雨が降り出したのだ。並んで腰を下ろすと、周囲の草が高く伸びているから、僕らの姿が道路から見えなくなる筈だ。ちょうど隠れ家のようである。
その代わり、ベンチに腰掛けた僕らの目の高さからは、川面(かわも)が見渡せない。毎年この川へ端午(たんご)の節句(せっく)の前後に鯉(こい)が(産卵の為(ため))遡上(そじょう)して来ること、時に軽鴨(かるがも)の親子が遊び、白鷺(しらさぎ)も(時には川蝉(かわせみ)も)飛来すること、鶯(うぐいす)や雉(きじ)や鳩(はと)が鳴き、朝日が(今の季節には)対岸の白い家の当たりから昇ること等を話した。
それから庭へ移って、野苺(のいちご)を摘(つ)み取(と)らせた。孫娘が水道で洗って頬張(ほおば)ったと言ったら、同じ様に食べた。酸(す)っぱいけど、酸っぱいのが好きだと言う。鉢(はち)に植えて部屋に飾りたいらしい。(引っ越して自分の部屋が持てたことが、嬉しいのだろう。先日来ベッドらしい大きな家具が何台も届いた。約二十年前の我が家の子供らの様子を思い出す。)「只おかあさんから許可を貰(もら)ったら、」と少女は言う。
「あしたの今頃ここに居ますか?」と言うから、翌日の夕方は(花畑の手入れをする振(ふ)りをして)少女の下校を待ち構えた。「許しが出た。」と嬉しそうに言う。前日その話しをしたら、朝の内に家内が小さなピンク色の小鉢に植え替えて置いたのだが、その野苺を手渡すと、女の子の(いつも遠慮がちな)顔が輝いた。
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その数日後、天気が荒れた。テレビの気象予報士が、雨風を盛んに警告した。この辺は近年に二度も洪水に見舞われたので、(緊急時に少女の身柄を依頼できるよう)我が家の電話番号をA夫人へ知らせようか、と僕は気を回した。が、妻は反対。隣り近所とベタベタした関係を嫌う家族だって有るのだから、と主張する。(実際、T夫人など十年来の隣人だが、挨拶もされない。)先方から尋ねられたら、知らせることとした。
当日は風が強かったが、雨は大した事が無く済んだ。
記念樹の赤い実から作ったシロップの小瓶、隣家のTちゃんに進呈しようか、との案も有ったが、これはO夫人へ回した。Rを生前かわいがってくれた人に味わってもらう方が、適(ふさ)わしいだろう。隣りへは枇杷の実が成ったら声を掛けることにした。Tちゃんを脚立(きゃたつ)に上らせて手もぎさせてやろうと思う。
(日記より)
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