学校を卒業できたのは、パンツ一丁の母のおかげだった
卒業シーズンですね。
20歳のときの話をします。
淡く切ない恋の話ではありません。
パンツ一丁の母のおかげで無事学校を卒業できた話です。
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20歳の時、私は医療系の専門学校に通っていた。
学校はまぁまぁ厳しく、劣等生だった。
入学して1年ほどたった頃、
それまではなんとか頑張ってやっていたけど、
「もう辞めたい」という気持ちが芽生え、
その気持ちは日に日に強くなっていった。
大体本当にこの仕事に就きたいのかわからないし、向いてない。
みんなみたいにやる気もない。
なのにこんな厳しいし、辛い。
とマイナス感情の嵐。
ストレスから毎日アルフォートを食べまくり虫歯が3個もできた。
「もう絶対やめてやるぅぅぅー!」
と心の中の清水の舞台で叫ぶ毎日。
今思うと人生でかなり辛い時期だった気がする。
胃潰瘍になったし。
そして私はついに
「母親に伝えよう」
と決心し、実家に電話することにした。
母は反対しないかもしれないけど、
電話の向こうでは白いハンカチで涙を拭うかもしれない。
今まで応援してくれて、
お金もたくさん出してもらったのに、申し訳ないなという気持ちもあったが、その気持ちより辞めたい気持ちがぶっちぎり1位だったので致し方ない。
おそるおそる実家の家電に電話。
「プルルル プルルル…はい、もしもし」
(私の妹が電話に出る)
私:「あ、たか?私だよ。」
妹:「お姉ちゃんか。元気? うんうん、こっちは元気だよ。」
私:「うん、今度また帰るよ。
えっとぉーあのさぁ、お母さん、いる?」
妹:「うん。今2階にいるかも。ちょっと待ってて」
と、妹はそのまま受話器を置き、受話器の向こう側で母を呼んだ。
妹:「おかぁーさぁーーーん、おねーちゃんから
でんわ――」
と妹が叫ぶ声が聞こえる。
すると2階にいる母が1階の妹に叫び返す声が受話器の向こうから聞こえた。
母:「ちょっとまってぇーーー。いまパンツ一丁で。どうにもならないのよぉーー」
妹:「……。」
妹:「あ、もしもしお姉ちゃん、お母さん今、パンツ一丁でどうにもならないんだって。」
私:「うん。聞こえた」
妹:「じゃーね。」
私:「うん、またね。」
「ガチャ。」
「ツーツーツーツー。」
え?
ツーツーツー。じゃなくて。
ガチャ。じゃなくて。
ちょっと待って。
この電話は、米を送ってくれとか、5000円貸して欲しいとか、
全国の学生共通の母さんヘルプミー電話じゃないんですよ。
三日三晩悩んで、やっと覚悟を決めた
清水の舞台からバンジージャンプの電話なんだ。
それなのになんだって?!
パンツ一丁でどうにもならないだって!?
てやんでい!
私の清水の舞台を返しておくれやす!
と江戸っ子のような気持ちになった。
みたいな、告白ソング風の心情にもなった。
てゆーかパンツ一丁ぐらいどうにかなるでしょ。
なんだか緊張の糸も解け、人生を空振りしたような、拍子抜けしたような、
そんな気持ちを抱えながら、母からの折り返しの電話を待つ。
ぜ、全然かかってこねぇ…。
パンツ一丁をどうにかするのに時間かかりすぎだ。
そして時が経つにつれ、
私はだんだんどうでも良い気持ちになってきていた。
今まで悩んできたモヤモヤした気持ちが、パンツ一丁と一緒にどこか遥かかなたへ飛んでいってしまったような。
窓の外を見ると蝶々がひらひら飛んでいた。
自分の気持ちが和らいで、分解されていくのがわかった。
もしかしたら私は、ただ単純に厳しさに逃げていただけなのかもしれないな。
***
2時間後ようやく母から電話がかかってきた。
母:「あ、ごめんねぇ。ちょっと色々忙しくてさぁ。うん。もうパンツじゃないってばぁ。しょうがないじゃない。コラっ!またお母さんのことバカにするぅ!
あ、電話なんだった?」
私:「……」
私:「…なんでもない。学校頑張るよ。あーあ。」
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そうして私は3年制の学校を無事卒業したのであった。
卒業後、医療従事者となり、即結婚して子供ができた私。
まだ時給900円のベーグル屋さんでバイトしていた今の夫と小さな息子にハーゲンダッツを買ってあげられたのは、私の安定した給料があったからだと思う。
今思うと、あの時母がパンツ一丁じゃなかったら、学校を辞めて、夫とも出会っていなかっただろう。
自分の人生は全く違ったものになっていたかもしれない。
人生何が起こるかわかりませんね。
こんな経験あなたにもありますか?(ナイわ)
おしまい
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