生きると死ぬの中央分離帯を歩いてた
友人が亡くなって1年経つ。
1年間でいろんな感情がやってきたり遠ざかったりして、
少し落ち着いてきたので、ようやく書けるのかなぁと思う。
突然の死であった。
亡くなる少し前まで連絡を取り合い、そろそろまた旅行にでもいけるかな。なんて思っていたところ。
そんな中突然の悲報だった。
言葉を失う。ということはこういうことか。ということがわかったくらいで、
あとは何もわからなかった。
彼女は私と同い年の当時36歳で、
お星様となって、みんなを見守る存在になるには、ずいぶん早すぎた。
そして何よりも、残された彼女の子どもたちはまだ小さかった。
色々な残酷すぎる現実と向き合うのには、とてもじゃないけれど、時間やら精神やらすべてが足りない。気が遠くなりそうに霞む未来を見つめて、すでにもう息が切れそうであった。
感情が振り子のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりし、涙やら鼻水やら、あらゆる液体が体から流れてきた。
どうしてこんなことに
とか
どうしたらよかったんだろう
とか
そんなムダなことをムダだとはわかっていながら考えては日が暮れる日々が数日続く。
短期間で激しく変化した自分の心とは反対に何も変化しない日常の風景に裏切られた気分になったり、空気を蹴っ飛ばしたくなったりすることも初めて経験した。
あまりにも非日常的な日常は、毎日変わらずやってきては、ずいぶんとそっけなかった。
2、3ヶ月ほど経つと、彼女の死にすこし
「慣れ」のような感覚が訪れた。
信じたくないけれど、事実なんだよなぁという気持ちに変わってくる
もう会えないんだっていう感覚が前は遠い空の向こうだったのが、今はすぐそこの電柱くらいまでに近づいてきた。
だけどそれが、電柱になったり、遠い空の向こうに戻ったり、また行ったり来たりもした。
悲しい、寂しい、悔しい。
いろいろな気持ちがありすぎた中で、かなり強く残ってしまったのは
「後悔」の気持ちだった。
もっとこうすればよかった。
もっと会えばよかった。
とかそういう気持ち。
またしばらく経って、今度は彼女の環境などに意識を向けるようになった。
地元が一緒だったので、家族構成などもわかっていたし、お父さんやお母さんも知っていた。
一緒に過ごした思春期を思い返して気付くことは、彼女は当時から苦しんでいたことだった。
何に。世界の全てに。なぜ?それは色々あったかもしれないけど、結局はよくわからない。
彼女は私のうちを「いいな」といつも言っていた。
私は何に「いいな」と言っているのかよくわからなかった。
そして彼女は彼女のうちに、私は私のうちに帰らなければいけなかった。
誰が決めたんだかわからない、私が私なことや、彼女が彼女なこと。
同じ時代に、同じ日本に、同じ街に、偶然生まれたのに、
彼女はどうして苦しまなければいけなかったのか。
またしてもそんなことを考えた。
寝る前とか。お風呂で。運転中に。
彼女はいつも生きると死ぬの中央分離帯を歩いてた。
左を向けば生の世界、右を向けば死の世界、その真ん中を歩いてた。
時々こっちを向いたり、また向こうを向いたり。笑ったり。
新緑の季節は、彼女が死んだことを思い出させる。青空や木々の緑がとてもきれいで、爽やかな風が吹いていた。
こんなに空は青いのに、彼女が見てたのは、こんなに青くなかったのかなとも思った。
彼女ができなかったことをしていけたらいいなって今は思う。
またいつか会いたいな