2000字の送辞〜あの日0歳だった、12歳のきみへ
3.11の地震が起きたとき
きみは0歳だった。
「ママ」と「わんわん」しか言えない、
ほんのちいさな赤ちゃんだった。
そのちいさなからだと、ぷくぷくしたちっちゃな手を、
ぎゅっと握りしめることはできても、
この先に起こる数々の困難から守りぬくことはできないかもしれないという
途方のない気持ちになったことを、
いまおもいだす。
さまざまな情報を見ても聞いても、
不安と不安と不安の声しか聞こえなかったし、
その得体の知れぬ黒いみらいはなんと、すぐおわるものではないらしかった。
子どもたちのみらいにつづく道が、
きぼうに輝く道でなく、
暗く重たい闇のトンネルの道に私たち大人がしてしまったんじゃないか。
こんな時代に子どもを産んでしまったことはよかったんだろうかと
申し訳ないきもちにもなった。
そんな暗黒感漂うもやもやは、そのさきもけっこう長く続いた気がする。
そのあいだも、変わらずずっときみはスクスクと育った。
きみはわたしが思う、その暗く重たい不安とは全くべつのせかいで生きていた。
ひらひら舞う蝶々に喜び、道端に咲くたんぽぽに胸ときめかせ、
風の匂いを感じ、よく食べ、よく笑い、よく泣いた。
そんなきみを見て、あの時に感じたもやもやが、少しずつ綿毛みたいにふわふわと飛んでいったような感覚もあった。
まいにちの目のまえにあること。
そのことにいちいち感動している。
にんげんの、本質のようなもの。
日常の美しさや、ささやかな喜びの連続を
まいにち目の前で上映してもらった。
♦︎
6歳になって、小学生になった。
ランドセルが大きくてひっくり返らないか心配で、しばらく途中まで一緒に登校した。
保育園の間は、毎朝送り迎えしていたのに、
もうじぶんの足で行って帰ってこれることに
たくましさを感じた。
大きなランドセルが見えなくなるのを、
誇らしいきもちで見守っていたのがなつかしい。
3年生になると、家族でどこかに出かけるよりも友達と遊ぶのが楽しくて、
家族みんなでおでかけする機会が減っていった。
「もうそういう年頃だよね」と父ちゃんは言ってた。
♦︎
3年生の終わりにコロナになった。
世の中は一斉にまたあの日みたいになった。
きみが0歳だったあの日みたいに。
マスク生活が始まった。
学校では行事の縮小、黙食、友達のうちに遊びに行くのも来るのもなんとなくためらう空気も流れた。
何かを発言すると誰かを傷つけるかもしれなくて、発言にも注意しなきゃいけないような空気もあった。
子どもも大人も心にもマスクをつけなければいけなかった。
世界が変わっていく。
あのときみたいにピンチに立たされている感覚があった。
5年生の冬、世界では戦争がはじまった。
テレビから流れる映像を見て、
涙は出なかった。背中が寒くなった。
またあの日みたいだと思った。
いま子どもたちが、みらいに希望を持てなかったとしたら、それは完全に私たちの責任で。
もし彼らの先に見える景色が暗く長いトンネルのようだったとしたら、
そのトンネルの中で、ライトを照らし続けることが今の私たちにできることかもしれない。
ライトが何個もあれば、トンネルの中だって明るくみえるから。
「あの日」は、人生で何度もやってくるようだ。
そしてそんな「あの日」を前にしたとき、
たった1人のちっぽけな力じゃなにもできないと感じたりするかもしれない。
だけど、そういう世界になったとき、
なにを考え、なにを信じ、どう動くのかということが人生をつくっていくのだと思う。
もしもこの先大変なときにかぎって、たよりになる人が隣にいなかったら。
頼りになるのは、きみ自身と、もう1人のきみ。
もう1人のきみは、
朝行ってきますと行って玄関のドアを開けた1年生のきみ
歌の会で恥ずかしくて声が小さかった3年生のきみ
友達とケンカをしてがっこうに行きたくないと言い休んだ5年生のきみ
あの時のきみはきっと今のきみを助けてくれるだろう。
迷ったとき、苦しいときに支えてくれるだろう。
そっと背中をおしてくれるだろう。
自分が本当に心から何かしたいと思った時は、
不思議とたくさんの人が、手を貸してくれるとおもう。
♦︎
明日は小学校の卒業式。
こんな辛気臭いきもちを話すつもりはないし、
大人になったときにいつか話せるときがくればいいなぁと思って書いた。
あの日、0歳だったきみは
明日、小学校を卒業する。
その前夜に感じることは、
みらいはやっぱり希望にあふれているとおもう。
卒業おめでとう!
*あとがき