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つぶやきのリレー

連休も終わりました。

10連休!10連休!と世間では騒がれていました。
自分も10とはならずとも、それなりの連休だったのでリフレッシュできました。

“10連休”という語の置き換えと、“令和”のインパクトにより、実際に休んだものの“GW”を過ごした!という感覚が薄いです。

なのでまだ体が、脳がGWを欲しています。
平凡なGWをプリーズ!!

そういえばお雛様は撮影に行ったけど、鯉のぼりや子供の日関係のものは1枚も撮らなかったなぁ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

季節物は“藤の花”を連休中に撮りました。
次は“かきつばた”を友人に誘われたので撮りに行こうかと予定しています。

咲いていると想定し、持っていくものを考えると
・三脚は無し(じっくり居座らないので)
・TAMRON 90㎜(メイン予定)
・TOKINA 11-20㎜(友人が広角好きなので布教用)
・EFーM 15ー45㎜(御守りとして)
でしょうか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

まぁ君の好きなもの好きなだけ持ってけよ!
と思われるかもしれませんが、事前にきっちり考えて用意して、後で見直してあーだこーだ言うの楽しいじゃないですか。

今の予想としては結局EFーM 15ー45㎜は使わないんじゃないかな?と思います。

かきつばたに対して、何か積極的な活用を見出だせれば別ですが。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

“かきつばた”については実際はよく知らず、それよりも昔高校の古典で伊勢物語を習った際に出てきた歌が印象的でした。

らころも
つつなれにし
ましあれば

るばるきぬる
びをしぞおもふ

この歌が歌われたのが現在の愛知県知立市だったと、一昨年知立市に行って初めて気付きました。

もう1つ。
こちらの歌も個人的に大好きなものです。

なにしおはば
いざこととはむ
みやこどり

わがおもふひとは
ありやなしやと

短い言葉の中に詰まった想い、鳥の名にかけて想いを託す様は美しくロマンチックであるなぁと当時は思いました。

今でもそう思っています。

人が人を想うのは古今東西変わらないですが、現代は気軽にコンタクトがとれる時代です。

手段も限られたこの当時、人を想うその密度、重さはどんなんだったのだろうか?とふと気になりました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

想いを言葉にするだけでは不十分であるから、それらを表現するために音楽が、芸術が、あるいは類した文明が発達した、と考えたりします。

そんなわけで文化も成立してきた。

言葉以外でも表現出来る人は素敵だなと思います。
音楽だったり、詩だったり、絵だったり。

もちろん言葉での表現も。

チョコレートに託す想いみたいなのもそう。
こういうのは青春っぽくてわくわくしますね。

何かいてるか分からなくなってきた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

最近青春を懐かしく感じたのは星の写真を撮った時です。

シャッターを切ってしばしの静寂。

撮れてるかな?
設定大丈夫かな?
何か忘れてることないかな?

時間かけて撮影する時はワクワクと不安が入り交じった不思議な感覚になります。

同じ感覚を昔、フイルムカメラで撮っていた昔も感じていた。

その時の感覚がふと、レリーズでシャッター切る時思い出しました。

そうだった。

撮影すること自体が楽しくて、夢中で撮っていたなぁ。

星の一生からしてみれば、人の営む時間や距離なんて誤差みたいなものだと思います。

“今も撮影楽しいよ。”

なんて声も、過去の自分に届のくかも。

深夜の解き放たれたテンションは、平気でこんな考えを生むから恐ろしい。

連休が終わり、いつもの日常の中に身をおきながら、また深夜にシャッター切るのを楽しみにしています。

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