『週末のお楽しみ』が僕を変えた
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工場で勤め始めて、毎週末楽しみにしていた「情熱大陸」で、ある方を知り、その人柄や働き方に魅了されました。
その方のお名前は…
安藤美冬さん
フリーランスでノマドワーカーのパイオニアとも言える人。
正直なところ…
初めて番組で見た時は、フリーランスもノマドワーカーも聞いたことも無かったし、そのカッコよさが自分と違い過ぎて、受け入れる事ができず、「なんとなく気に入らない人」の印象でした。
ただ、しばらくの間、自分のアンテナに引っかかったままで、気になるな〜あの人と思い、録画した情熱大陸を見返してみると
「職業は安藤美冬です。」
の一言が、あまりにもカッコ良く、
SNSを駆使して、信用と実績を積み重ね、自分自身の発信を職業にする生き方と働き方が刺激的で、いつの間にか、安藤さんをベンチマークし、著書やネット記事を読み漁り、考え方や働き方、発信の仕方などを勉強させていただいてました。
そんな、ある日のこと…
安藤さんが大阪に講演会で来る事を知り、
なにがなんでも行くんや!
と、前出の「バカでも年収1000万円」を思い出し、いつもと違った選択肢を取り、安藤さんに会いに行く事にしました。
この頃から、違った選択肢をする事に、怖くなくなった気がします。
会場に着いたら、1番前の席に座り、何でもいいから1番最初に質問して、終わったら1番最初に挨拶に行こうと心に決め、当日を迎え、その通りに実行してみました。
質問内容は全く覚えても無いし、その時はとにかく安藤さんに認知されたくて、経験も実績も知識もない僕は夢中で実行しました。
緊張のあまり、当日の記憶は薄く、今も手元にある写真だけが当時の思い出ですw(懐かしすぎるw)
安藤さんの存在が、"一歩前に踏み出す"を実行する動機になったので、数年経った今も感謝してます。
その後も、安藤さんがキッカケで知ることになった、某実業家の方(この方のお話は後ほど)が中心となったイベントでも、お会いする事ができ、あの時の成功体験が今の僕の礎になってると思います。
著書『冒険に出よう』にある
・自分の道は、歩いてはじめて道になる
・成功者を目指すのではなく、一生、挑戦者であり続けたい
などの言葉に勇気づけられ、励まされ、そして、行動していくことの大切さを学びました。
そんな、出会いがキッカケとなり、この頃から
"迷ったら動く"
"動いてから考える"
が加速していく事になります。
そして…
話は前後しますが、工場の給料が少ないからという理由で
元妻から、休日も働くよう言われた僕は
週末の夜、飲食店でホールスタッフとしてアルバイトをする事になります。
その"飲食店"のオーナー、店長、スタッフ達との出会いも、後々の僕に多大な影響を与える事になるとは、当時の僕は思いもよりませんでした。
一方で、少しづつ変わっていく、僕の考え方や行動とは裏腹に
僕と元妻の関係は悪化していきました。
少しでも早く稼げるようになるために、講演会や交流会に参加して、人脈を拡げて、チャンスを掴みに行きたい僕
そんな事には参加せず、地道に目の前の仕事だけを、与えられた事だけをして欲しい元妻
やればやるほど、学べば学ぶほど、
お互いの溝は深まるばかりで、理解されない事に、理解しない事に、
互いにイライラする事が多くなり
ついには、子供の前でも怒号が飛び交うようになり、お皿やグラスが飛んでくるようになりました。
ある日、子供の
「ママ!!パパ、いじめたらアカン!!」
って泣き出した事が、僕の中で糸の切れた瞬間でした。
決して、ママはパパをイジめてる訳じゃないし、
パパも怒らせたくて怒らせてる訳じゃない。
こんな光景を3歳の子供に見せるために家庭を持ったんじゃない。
僕は幸せになりたかった。
幸せにしてあげたかった。
僕の生まれ育った家族の二の舞になりたくなかった。
両親の喧嘩が絶えなかった日々の苦痛を知ってるから。
なんで、こんな事になったんやろ…
いつから、こんな事になったんやろ…
全ては自分の努力不足。
どうする事もできなかった。
前に進むのも許されない。
後ろに下がるのも許されない。
義父母からも責めたてられるようになり、
僕の居場所が無くなった気がした。
頑張りたいと思う事が、なんでそんなにもアカンのやろか…
とにかく、子供に自分と元妻の喧嘩を見せたくない。
仲良くなくてもいい、喧嘩してるところを見せないで済むにはコレしかない。
思い立った僕は子供の寝顔から遠ざかるように家を出ました。
続きは次回。
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