【雑記】年の暮れに恋の話をしよう。
ゆうやです。
先月だったか、詩話会に通ってる女性が「恋の詩を書きたい」と熱く語っていて、恋についてしばしば真剣に考えています。
小学生時代のあだ名が「お地蔵さん」で、高校には「ロボットみたいな人」と呼ばれていた私は、当然のように恋は得意ではありません。
ただ、恋に焦がれる自分は昔から持っていて
身を焦がし、身を滅ぼすような恋をしたいとは常々思っていました。
何だったら恋に溺れて死んでしまいたい。
故に、バレンタイン・クリスマスといったイベントごとは割と大事にするし、恋人とかできると「交換日記をしよう」とか言い出し、何かにつけてペアものにしたがったりする訳ですが
そのような一方的な愛情を注いでると、まあやっぱ痛い思いをして別れるハメになるわけです。
恋は相互作用だからね。
恋の相手が好きなんじゃなくて
恋してる自分が好きなだけなんだろう。
そう嘯いてる自分がどっか宙に浮いてて、燃えているようで氷よりも冷めてるような所がありました。
どうしても情熱的になれない。
でも恋に溺れて死にたい。
失恋を重ねて冷め切った時に限って、情熱的に愛してくれる人が現れたりしますよね。
長い恋愛に苦しみながらそれでも笑顔を向けてくる異性を見てると無性に苛ついて、何もかもめちゃくちゃに壊したくなる衝動に襲われてました。
いや、苛ついていたのではなく、はち切れそうな自身の性欲を、醜い破壊欲を抑えるのに必死だったように思う。
私に恋をして苦しんでる人を見るのは好きで、好きじゃなかった。
壊してやりたくなるから。
壊されたいのは私の方だから。
そんな不器用な恋愛を繰り返して、現在、既婚。
今度こそ情熱的に愛情を注げると思ったのですが、見事に浮気されました。しかも3年目に。
それでも愛してるんですけどね。
必死で謝ってくるパートナーを、すごい冷めた気持ちで見ながら、ああ、それでも愛しているよと思うほどに冷えていく何かを抱えて。
こんな恋愛しかできないのかもしれない。
情熱的な愛情と、冷め切った気持ちを常に抱えて、矛盾した自分と葛藤しながらでしか好きになれないのだろうと思う。
そんな年の暮れ。
中年の恋愛観でした。
おしまい。