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14歳、サブカルへの目覚め

スカウターでも備えているかのように相手の戦闘能力を計る。同時に自分も同じまなざしにさらされていることを感じる。同じ柄の制服を来て、同じ教科書を開き、多分昨日の夜は同じテレビ番組を見ている。それなのに、教室の中には確実に序列があった。

男子だったらサッカー部にバスケ部、女子だったらバトン部が上位にあり、存在感と比例するようにカーストができている。華やかさも部活マジックも持っていない平民は、いつ貧民に落とされてもおかしくない。昨日まで仲良く話していたのに、今日から冷ややかな対応をされる。こんなことはよくある。

校外学習の班決め、席替え、体育の授業中に組まされるペア。自分の隣に来る人が嫌そうな顔をしませんようにといつも願っていた。たった20坪ほどの教室が世界のすべて。足を踏み外さないような会話をするため、人気ドラマを見てヒット曲を聴き、顔色をうかがっていた。

14歳。私は早く大人になりたかった。大人になりさえすれば、教室内のくだらない人間関係から抜け出せるような気がしていた。

***

「ねぇねぇ、あの先輩かっこよくない?」
「どれ、どれ?」
「本当だ! 超かっこいい!」
「わっ…こっち見た! ヤバいヤバいどうしよう!」

新緑が気持ちよさそうに揺れている5月のはじめだったと思う。高校2年生の先輩たちが、授業終わりに5人ほどで歩いているのを同級生と一緒に眺めていた。14歳から見た17歳はもう大人だ。首には骨ばった凛々しさがあり、着崩された制服は、同級生にはない余裕と色気を漂わせていた。

突然、世界がスローモーションになった。ほんの数秒まで、キャッキャと黄色く弾ける声に包まれていたのに、世界から音がなくなってしまった。

ギターを背負った1人の青年に釘付けになったのだ。驚くほど肌が白く、静かな引力があった。男の人を綺麗だと思ったのは初めてだった。

遠くに見える青年たちのくたびれたローファーが、だぼついたズボンの裾から見えては隠れる。ゆったりとした白シャツは、窓から差し込む日光に照らされて、波打つように白く光ったり、影になったりしていた。心臓が引っ張られるようで、ちょっとでも力を抜いたら意識を失ってしまうかもしれない。現実に踏みとどまるために、口の中いっぱいに溜まった唾液を飲み込んだ。

中高一貫に入学し、電車通学という少し背伸びした毎日を送るものの、部活に入るわけでもなく、夢中になれる趣味もない。乾燥した会話を交わす毎日の中で、ちょっとした刺激が欲しかった。

多分そのとき、私は神様みたいな存在を見つけたのだと思う。

名前も知らない先輩が歩く姿を見つければ、一日が色めき立つ。階段ですれ違えば、爆発しそうなくらい心臓が喚いた。遠くから眺めることしかできないが、とっかかりが欲しくて彼が纏う記号を一生懸命観察した。ひとつわかったのは、彼がいつも持っているレザーのバッグがディスクユニオンのものだということだけだ。

文化祭の日、地下会議室で開かれていた軽音部のライブでもうひとつ記号を見つけた。すべての音が主張する爆音の中で汗だくの観客たちが体をぶつけ合っていて、歌詞は全編英語で何を言っているのかよくわからない。私は聴いたことない爆音に呆然としながらステージの上でギターを弾く先輩を眺めていた。会議室なんて全然広くない会場なのに、やけに遠く感じた。

会議室の後ろの方で突っ立っていると、軽音部に所属している同級生が「あれはハイスタっていうバンドの曲だよ」と教えてくれた。Hi-STANDARD。初めて聞くバンド名だった。ミュージックステーションでもカウントダウンTVでも見たことがない彼らは、すでに活動を休止してしまった伝説のバンドらしい。

学校の帰りにツタヤへ向かい、CDが敷き詰められた壁に目を凝らして、聞き慣れないバンド名を必死に探した。あんなに激しい音を鳴らすバンドなのに、「MAKING THE ROAD」というアルバムは、あまりに可愛らしいジャケットだったので、あっているのか不安になった。

おそるおそるCDプレイヤーの再生ボタンを押すと、聴き覚えのある轟音が流れる。ライブで演奏していたのは「STAY GOLD」という曲で、歌詞カードを見ながら英語を口ずさむと、肺が何かで満たされていく感覚がした。メロコアなんて聴いたこともなかったけれど、なんとかしてこの音楽の魅力がわかりたかった。

インディーズや洋楽を知ったのもこのぐらいのタイミングだったと思う。テレビやセンター街で流れる曲とは違う、ちょっとレアな感じがかっこよく見えた。学校帰りにタワレコやHMVに行くようになり、手書きのポップを見ながら視聴CDをかじりつくように聴いた。お金がないのでその足でツタヤに向かうが、洋楽は発売してから1年経たないとレンタルできなかった。ディスクユニオンに足を踏み入れると、「本当に音楽が好きな人」の場所な気がして気後れした。

正直、目当てのCDが見つからなくてもよかった。学校からの帰り道、1人で歩いているのを見られても「CDショップに行くから」とか「SHIBUYA-AXに行く」というかっこいい言い訳があればイタい奴のレッテルを貼られないような気がしていたからだ。クラスの誰かと共有するつもりはなかった。私だけが知っておきたかったし、上っ面の友人関係で深い話なんてできるとは思っていなかったからだ。

どうやらその年はRed Hot Chili Peppersがフジロックという場所に来るらしく、スペースシャワーTVでは、しきりに特集が組まれていたのを覚えている。フジロックは苗場で開かれるらしい。そんな遠い場所で開かれるイベントに、大勢の客が集うなんて信じられなかった。

音楽を求めて1人で帰り、お年玉を切り崩してライブに行くようになったものの、軽音部に入ることは頭になかった。Fコードは押さえられなかったし、バンドを一緒に組んでくれる人がいるとは思えなかったからだ。自分のスター性のなさを実感するだけならば、受け手に甘んじていようとも、いろんなことを知りたかった。そうすれば、何かのきっかけで先輩と会話ができたとき、仲良くなれるかもしれない。

来るはずもない「いつか」。私は先輩の隣に並んだ時に恥ずかしくないように備えたかった。

人の顔色に一喜一憂せず、流行など追わず、自分だけの熱中できるものがある。自分の意思でいろんなことを決められる人。背伸びの先に、そういう未来があると思っていた。

なんて浅はかなのだろう。憧れの人に追いつきたくて必死に背伸びをしていたあの頃、私は結局「他人からどう見られるか」ばかりを考えていたのだ。大人に部類される年齢になると、当時の自分の視野がいかに狭く、卑小な考えをしていたのかがよくわかる。

思い出すだけで恥ずかしい、矛盾だらけの14歳。10代は往々にしてクソで、人はそれを黒歴史と呼ぶ。同級生たちに音楽の話をして友情を築けていたら、きっともっと楽しい青春になっていただろう。でも、たった1人で背伸びをしていたからこそ、何も満たされることなく、ずっと夢を見続けられていたような気もする。

SHIBUYA-AXはなくなり、HMVがあった場所はIKEAになってしまった。大人になった私はステージに立つことはないけれど、たまに音楽の記事を書く仕事をしていたりする。誰かの顔色をうかがうことなく、好きなものを享受する図太さも手に入れた。フジロックに行ってRed Hot Chili Peppersを生で見たし、再結成は絶望的だと思われたハイスタは復活し、初めて本物の「STAY GOLD」を聴いた。

あの頃の私から見ると、今の私は輝いているのかはわからない。でも、いつしか人の目に縛られることがなくなり、気楽に生きられるようになった。入り口こそ不純でも、自分の道ができていたってことなのかもしれない。

MAKING THE ROAD。中学生でもわかる英語だ。

この note は映画『14 歳の栞』の公開を記念してご依頼いただき、執筆したものです。#私が 14 歳だった頃 で、エピソードを募集しております。ぜひご参加ください。

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