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匿名性をくれる街、東京

「地元」とは、どういう場所を指すのだろう?

生まれ育った街、長く住んだ都市、帰る場所……どれもいまいちピンと来ない。

埋立地で生まれ育った私にとって、地元の街は工業製品のようだ。

起伏のないコンクリートの地盤に、コピー&ペーストみたいに似通ったデザインのマンションが立つ。駅前にはイオンがでかでかと座り、その周りにコンビニが散りばめられる。見たい映画は近所のシネコンで上映しているし、TSUTAYAは深夜まであいていた。

この場所でしか味わえないものは、ひとつもなかった。

人工的にできた湾岸地帯。パチンコ屋もラブホテルも見当たらない。漂白されたコピペの街が私の故郷だ。虚しいとか、寂しいとか、そういう感情はまったくない。むしろ温度のない土地が好きだった。

無機質な土地でも、そこには人間関係がある。「地元」には、「場所」という自分たちでどうしようもできない物理的なもので、人を結びつける力がある。

地元というのは、場所と人と思い出とが絡み合ってできる「居場所」なのだろう。その場所に由縁さえあれば、迎え入れてくれる優しさを持つ。外の世界は、能力や結果をギブアンドテイクのように求めるけれど、地元はそんなことなしに帰りを待っていてくれる。「所与」という言葉がよく似合う。

「あの家のお子さん」

私は、地縁があまり好きではなかった。

幼少期に母を病で亡くした私にとって、近所の住民から投げられる視線は心地よくなかった。先生もクラスメイトもその親も、母の闘病生活や葬式を知っていた。みんな優しく接してくれ、不自由があるわけではない。でも、私の個性を表す時に、一番最初につくのは「あの家のお子さん」だった。

口には出さない。けれども、ふとした瞬間に露呈する。

母が他界して間もなく、同級生の男子と口論になったときのこと。私に苛立ちを覚え、言葉を探した彼が選んだのは、「母さんの死んだバカ女」だった。

「遺族」として見られることは覚悟していたので、起きるべくして起こった事態でしかなかった。確かに暴力的な言葉だが、喧嘩している相手を制圧するために衝動的に出てきただけ。ある意味正当なパンチだった。だからこそ、軽く笑って受け流したかった。

けれども、人はそれを許してくれない。教室の視線がこちらに向く。当たり前だ。「タブー」を言われた人が、どんな顔をするのか見たいじゃないか。私だって自分の表情を見てみたかった。

「気にしなくていいから」と女子たちは私を慰める。誰かが報告したのか、事態を知った担任はクラスメイト全員の前で彼を叱責した。「人として最低なことです。謝りなさい」。静まり返った教室に、先生の声だけがした。何一つ間違ったことは言っていない。けれども、お説教をくらった彼から「ごめん」と言われた時、みじめな気持ちになった。手を差し伸べる人に言ってやりたかった。

「”気にしている”のは、お前の方だよ」

出自をベースに生まれる人間関係は、面倒くさかった。

私が地元で知っているのは、家、小学校、駅までの半径500メートルの世界だけ。12歳のときから、私の「地元」はベッドがある場所でしかない。思い出がないのだ。

匿名性をくれる街、東京

中学受験に合格し、電車通学が確定した時、人間関係がリセットされる感じがしてワクワクしたのを覚えている。「かわいい制服がいい」「きれいな校舎がいい」という無邪気な理由で受験しただけ。でも、いざ定期券を買うと気分が高揚した。

毎日、人でパンパンに膨れた電車に乗って学校に向かう。疲れた顔をしたサラリーマンと一緒にすし詰めにされながら、窓際に立つと湾岸地帯が一望できた。海、コンクリート、海。人間関係とは違って、無機質な地形は不気味なくらいに整っていた。製品が出荷されるかのように、目的地の渋谷まで電車は向かっていく。

渋谷という街に何かを期待していたわけではない。ただ、海をこえて自分と関係のない場所に行くのは、切り離される感覚があって嬉しかった。

タワレコ、HMV、109、ラフォーレ。カラ館、歌広、BIG ECHO。渋谷には、「欲しい」を刺激する記号が溢れていた。センター街に行けば芸能ゴシップを教えてくれるおじさんがいるし、カリスマ高校生がバイトする古着屋も、ドラマに出てる歩道橋もすぐそこにある。とはいえ、コピペな地元で「味わうこと」と何も変わらない。頻繁に改装する宮益坂下のマックでポテトをつまみ、トールしか頼めないTSUTAYAのスタバでフラペチーノを買った。

人気がなければすぐに消えていくショップは、欲望が無尽蔵に飛び交う証だった。また一方で、渋谷は人が一時的にワッと集まって、散り散りになっていく場所でもあった。改札前で「バイバーイ」と手をふって、みんなどこかへ消えていく。

なんだかすべてが刹那的だった。人の噂よりも、欲しいものが欲しいし、今がよければすべてよし。ストレートな欲求が道中に転がっていた。

ぼーっと立ち止まっていても、人は通り過ぎていく。早くしないと「欲しい」が満たされないからだ。すぐに消えてなくなっていくことが前提。そこには「所与」とは程遠い「刹那」がある。だからこそ、渋谷は「あの家のお子さん」ではない自分でいられる場所だった。開放感と言うほどでもないけれど、気楽だった。

12歳の私が欲しかったのは、匿名性だったのかもしれない。

通学中、電車の窓から海を見る度に、土地に芽生えるはずだったアイデンティティは剥がされていったのだろう。眺めるベッドタウンは、直線的だった。


Photo credit: 176.9cm / Creative Commons via Flickr

これはcakesで連載していた「匿名の街、東京」のアーカイブ記事です。
公開日時:2018年08月29日 10:00


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