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いつから体育が嫌いだったっけ?振り返ったら自分をどつきたくなったよ
体育教育についてのアレコレがここ数日よく流れてくる。おそらく発端はこちらのポストかと。
ツイッターやってて特に衝撃的だった事件のひとつに、市民がスポーツする場をつくるNPOの人が「ツイッターやるまでは学校の体育を恨んでいる人がいるなんて知らなかった」と「目から鱗」になってたこと。その人は体育がいちばん楽しかったから、と。体育へ寄せられる恨み言の数々に呆然とされていた。
— ジロウ (@jiro6663) December 14, 2024
いわゆる「スポーツが好きな子」は反対するのだろうけど、振り返るに義務教育の体育で学びたかったのは「競技」よりも「コンディションを保ち、日常生活のクオリティ向上に寄与するための肉体の扱い方」だ。
— 葛西伸哉 (@kasai_sinya) December 17, 2024
この流れを見て、体育が嫌いすぎて身体を動かすこと全般が好きではないアラフォーのわたしは、自分語りをさせてくれえ……!!となっている。
まず、わたしの属性。
父は元ラグビー部、バク転もできるくらいスポーツ何でもできるタイプ、母は元バレー部でママさんバトミントンやらママさんバレーをしていた。しかも、ママさんバレーで全国大会にまで行ったほどのガチチームに所属し、50代でもママさんバレーを続けていた。
こんな両親を持ちながら、なぜわたしは体育が嫌いなのか。
両親曰く、幼い頃の私は活発に動き回る子だったから、運動神経は良い方だと思っていたとのこと。
となると、体育が嫌いなのは、完全に体育教育のせいだとわたしは思っている!!!
小学校に入ると、それまでの比較的平和だった幼稚園生活とは様相が変わった。スカートめくりをする男子とか、いじめスレスレのからかいをする男子とか、やたらと仕切りたがる女子とか、なかなかに色々な子たちがいた。
わたしにはどうやら繊細な気質があったようで、小1の頃は「学校に行きたくない」と言ったり「お腹が痛い」と言ったり、母と校門まで行ったものの引き返す……みたいなこともあった。
こういう子どもにとって、ドッチボール、バレーボールなどの球技は地獄だ。向かってくるボールをキャッチしたり打ち返したりができない。目をつぶっちゃう。
さらに、繊細な気質に加えて、失敗を極端に嫌がる特性も強め。人の目を気にすればするほど上手くできない負のスパイラルに陥ってしまう。特に球技を中心としたチームスポーツが苦手で仕方がなかった。だから、完全に「自分はスポーツが苦手だし好きじゃない」自認が完成してしまった。
特に、小学校の体育やお楽しみ会で球技をするときに嫌だったのは、「とりとりじゃんけん」だ。
これは、キャプテン2人を先に決めて、ジャンケンで勝った方から順番に、自分のチームにほしいメンバーをクラスから選んでいくじゃんけん。
これで、私はたいてい最後まで残っていた。とにかく、苦手意識が強いからやる気も出さない。だからできない。マラソンも途中歩いて最後なんとなくゴールする……という感じだった。負のスパイラル。
幸いだったのは、「少年団」活動に参加していて、ダンスや歌、遊びを通して走ったり身体を動かしたりはしていたこと。体育って、「楽しく身体を動かせる人を目指せばいいのでは?」と、今でも思っている。
こんなに体育も球技も苦手意識がありながら、なぜか中学ではハンドボール部に入ってしまった(本当になぜ)。「中学生になると運動しないと太る」という間違った痩せ信仰に影響を受けたのに加えて、中学で新たに親しくなった子達と仮入部期間に見学に行き、その場のノリで「入る〜!」と、やっちまったのだ。
案の定、すぐに後悔することとなる。
が、元やんちゃな体育教育が顧問で、意を決して退部の希望を伝えるも、辞めさせてくれなかった。今思うとあれってなんなんですかね。なぜ辞めさせてもらえなかったのか。解せなさすぎる。
ただ、嫌々ながらも運動部に所属して、毎日走ったり基礎練したりしていたら新しい自分とも出会った。
中学校の陸上競技大会の1000メートル走で、記録別に走るグループを決めることになった時に、一番手のグループに入ったのだ。
相変わらず走るのは嫌いだったから、この陸上競技大会も「なくなればいい」とずっと願いながらも、自分が一番手グループに入れるくらいのタイムを出せたことには純粋に驚いた。
「ずっと運動が苦手、運動神経が悪いと思ってたけど、別に運動できないわけではなかったんだ」と気づいたのだった。
でもね、ここで気づいたからと言って、一度芽生えた「苦手意識」は簡単には払拭できないのが私なのだ。
身体を動かす必要がないのであれば、できる限り動きたくないマインドを持ったまま大人になってしまった。
一つ、「こんな体育の授業があったのか!!」と、驚いた経験がある。大学で教育学部に入り、「体育教育」について学ぶ授業があった。
遊びっぽいゲームの中でバスケの動きを少しずつ習得していき、気づいたらバスケを楽しんでプレーしている体験をしたことがある。例えば、「ドリブルをやろう」「ディフェンスを練習しよう」と具体的なトレーニングをしていくのではなくて、鬼ごっこのようなゲームをして、少しずつルールが加えられていき、バスケで必要な動きが組み込まれている。
楽しく遊んでいる間に、自分のしている動きがバスケに必要な動きになっていく。本当に不思議で面白い体験だった。
「こんなに体育って楽しく授業ができるんだ!」と、衝撃的だった。
この先生の授業が本当に楽しかったことを少し前に思い出し、友人に「あの先生の授業楽しかったよね」と連絡をしたところ、今では大学の副学長をされているとわかった。
東京学芸大学の副学長、松田恵示先生。
「遊び学」を専門とし、体育教育について為末大さんの本でも対談されている!!!
このことに気づき、本当に良い大学に通っていたなあと改めて思う。それと同時に、最小限の労力で卒業することしか考えず、サークル活動ばかりしていた自分をぶっ叩きたくなるのであった。
でも、そんな自堕落学生の中にも、先生からの学びは確かに残っています、と伝えさせてください……!
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