「サッカーを伝える仕事がしたい」という気持ちだけで何のツテもなく上京した18歳

将来の夢=将来働きたい職業

そう思っていた私にとってサッカーでの夢はなかったのかもしれません。ただサッカーを好きになって、ただサッカーを続けていた学生時代。"上手くなりたい"や"上のレベルでやりたい"という目標はあっても女子サッカーでを見たり出来るとは思っていませんでした。「ただサッカーするのが好きなだけ」そういう女の子が多いはずです。

私が学生の頃はTVで女子サッカーの試合が見れることもほぼなく、全日(現在の皇后杯)の決勝が深夜に20分程度のダイジェストで見れる程度でした。(当時はそれでも地上波で女子サッカーが見れることが嬉しくてテンション上がっていましたね)

土日は自分の試合があるため観戦に行けるチャンスがあまりなかったので、私が初めてなでしこジャパンの試合を観に行ったのは2003年に行われたワールドカップ予選のプレーオフ・メキシコ女子代表戦です。その次が2004年のアテネ五輪出場を決めた最終予選の北朝鮮戦。母にお願いして群馬から連れてってもらったこの2試合。今思えばこの女子サッカーの歴史が動いたともいえる2試合を観に行けていたことは本当にもっていると思います。

ただ観ているだけなのに鳥肌が止まらず、涙を流しながらピッチで戦うなでしこの選手達に魅了されていました。その時胸のずっとずっと奥の方にあった想いがじわっと湧いてきたのかもしれません。

「こんなに凄いチームなのに、人を感動させることができるのに、女子はなんで注目されないの?」

サッカー=男子のスポーツというイメージが変わらないことが悔しくて悔しくて、1人でも多くの人に女子サッカーや選手を知ってほしいという気持ちが生まれたことでなんとなく頭の中に浮かんだのが「女子サッカーを伝える人になりたい」でした。これが初めて私が女子サッカーでの夢を持った瞬間です。しかしテレビや雑誌でもなかなか取り上げられない時代。一般的にいう【サッカーメディア】への道が何も見えなかったんです。出版社?新聞社??どうしたら女子サッカーを広めるお手伝いが出来るんだろう?

「あ!私がメディアに出る人になれば良いんだ!東京へ行こう!」

これがサッカーしかしていなかった群馬の高校生が当時出した答えです(笑)兄と同じメダルが欲しくてサッカーを始めた小学生の時から考え方は変わってなかったかもしれませんね。

やると決めたらそれしか許さない性格だったので大学推薦の話も断り、親に相談する前に二者面談で勝手に「東京へ行きます」と宣言。当時の担任の先生も最初は驚いていましたが「お前ならやれるかもな」と話を真剣に聞いてくれました。

そして私の両親。小学生からずっと時間とお金をかけて、愛情もって真剣に応援していてくれた2人にサッカーをやめると伝えた時は部屋から出れなくなる程怖かったです。きっとショック受けたと思うしガッカリしたと思います。それでも進学や就職ではなく東京へ行くという無謀な夢へのチャレンジを一度も否定せず送り出してくれました。

事務所所属ができるかすらわからないまま母の車に荷物を積み家を出た2005年春。モデルやお芝居のお仕事が楽しくて仕方ない時期もありました。サッカーの仕事なんて無理かもと諦めたり、挫折も沢山しました。色んな経験をして、遠回りもしながら、約7年前にサッカーの仕事に向き合いJリーグの取材を続け「女の子とサッカーの距離を縮めたい」という目標と共に駆け抜けてきました。そして2020年の今、女子サッカーの番組も担当させて頂いています。

今は女子や男子にこだわらず、実際にスタジアムで見たサッカーの魅力を伝えること。それで1人でも多くの人にスタジアムに行きたいと思ってもらえることが目標です。何もなかった18歳の時の夢をまだ叶えたとは言えませんが、あの頃の自分に「間違ってなかったよ!チャレンジしてくれてありがとう!」と伝えたいと思える場所に今立っています。

そして本日、日本で初めて女子サッカーのプロリーグが正式に発表されました。

【WE LEAGUE】

サッカーをしている女の子達の将来の夢に「プロサッカー選手」という選択肢が当たり前のように存在する未来を期待します!


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